After the Pleistocene

A memory of my ramble
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能「経正」
 琵琶の名手、平経正(つねまさ)は死んだ年は分かっているが、生まれた年は不明だという。清盛と異母兄弟の経盛の長男で、一の谷の合戦(1184)で討ち死にしている。彼は先年北陸から上洛せんとする木曽義仲の反乱軍をを討たんと、7万の兵を率いた副将軍。推定からするなら、40歳前後にはなるだろうと思われるが、熊谷直実に討たれた彼の弟、無官太夫平敦盛(16歳)と大して年齢差を感じさせない若武者(20歳前後)として、平家物語では我々を錯覚させている。
 そもそも父経盛にしても、平家の公達の中ではかなり出世の程度が遅かった。しかし歌人として才能は人並み優れたものがあって、息子たちにも伝わったのだろう。経正も歌人であり、琵琶の名器「青山」を預けられていた。源氏に追われてあわてて京を退散する平家の公達が多いの中で、その琵琶をわざわざ返還するべく、元の持ち主御室の仁和寺へ立ち寄ッたことがこの曲のテーマか。世の中が静まった後、仁和寺で管弦の演奏による法事を営んでいると、経正の亡霊が現れて手向けの調べを懐かしむ。「大絃はそうそうとして村雨のごとし、小絃は切々として私語に異ならず。」しかし死んでなお、修羅の世界で闘い続けるわが身の、浅ましい姿を垣間見せたことを恥ずかしいと感じて、経正の亡霊は消えてゆくのであった。
 今回観世流鈴木啓吾師によってこの「経正」は謡われた。場所は私の散歩コース、藤崎から大久保へ抜ける途中にある『萩舞台』。一度入ってみたかった。能舞台を囲んで二三十人が入ればいっぱいになるスペースとわかったが、謡の実に豊かな響きを体感でき楽しかった。
 
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