After the Pleistocene

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サントリー美術館『南蛮美術の光と影』
 1543年にポルトガル人が種子島に到来して、初めて鉄砲を伝える。その6年後にはザビエルが来日してキリスト教を伝えた。織田信長が今川義元を桶狭間で破ったのが1560年だから、南蛮人たちは日本がまだ戦国の混沌とした時代に現れたと言えるだろう。それから1590年豊臣秀吉が天下統一して、キリスト教を禁止するまでの約40年間、いわゆる南蛮文化が日本に栄えたと言えようか。興味深いのは、急増する信者の要望に応えるため、キリスト教文化を広げるための学校・セミナリオをこの地に設立していることだ。ジャポニスムがヨーロッパを覆った時でも、日本文化を広めるべく日本の学校をわれわれは建てただろうか。
 南蛮人を描写の対象にし、屏風絵にした狩野派たちの絵画は、七福神の絵と同じく福をもたらす縁起の良い絵だと当時もてはやされたという。南蛮人が貿易で富を運んできたことに由来する。江戸時代後期の黒船騒ぎとなんと差があることだろう。キリスト教が公に禁止されると、セミナリオで遠近法など西洋画の技法を学んだ画家たちは、十字架のキリスト像を描くことより西洋の王様や武人たちを描くことに、方向変化をしたとしても不思議ではない。戦国大名の後裔たちが、日本人が描くこれらの西洋画風の屏風絵を隠れて所持していた。またその一部は海外に流出していった。今回サントリー美術館と神戸市立博物館が持つ左右一対の『泰西王侯騎馬図』を同時に展示して、これら南蛮美術の謎に迫ろうとしている。外来文化が極めてポジティブに受け入れられた、その根本の動機は一体なんだったのだろう?

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| 京の昼寝〜♪ | 2011/11/22 12:22 PM |