After the Pleistocene

A memory of my ramble
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NHK 『麒麟がくる』
 本木“道三”の最期、修羅場と化した戦場で気合いのこもった槍の妙技を見せて大いに沸かせてくれた。今度は海老蔵が歌舞伎座の舞台で是非演じて欲しい。16世紀後半、戦国時代の終わりは随分知れわったていることが多いと思うが、中でも司馬遼太郎の「国盗り物語」の影響は大きい。このドラマもどこまで独自性を発揮できるか?
 まず人々の衣装や行動が明るい。道三と信長が会見した聖徳寺の場面設定でも、「国盗り物語」では信長が盗み見されることを十分に予知して行動しているのに、このドラマでは「さもあるか、・・・」ぐらいの軽い気持ちで受け流されている。私もこちらの方が自然だと思う。しかし光秀とお駒が一緒に旅する場面では、何故グイとお駒の肩を抱き寄せて熱い抱擁が交わせなかったのか、と不自然に思った。(NHKの倫理規定違反なのか?)
 斎藤道三としては、息子高政が家督を正式に継いだら、もっとまともな政治をし、道三をも大事にしてくれると見誤った。このドラマの視聴者と同じく、なぜそれほどまでに土岐源氏の血筋を大事にするのか分からない。明智光秀も土岐源氏の端くれにいる。
 ドラマはこれから佳境に入って、光秀が細川藤孝や三淵藤英など足利将軍義輝の奉公衆の下働きとなって政治の裏面をも知る年月が流れる。私はあまり信長との対決姿勢を露わにしないほうがよいと思うが・・・・信長の身の上でも近江口や越前においてなど何度も虎口を逃れる危うい目に出遭っている。結果が分かっているドラマの、それでもなお身を奮わせるような感激を味わえるだろうか。本能寺決行前の句会で光秀の発句について。
      
    時はいま 天が下知る五月かな
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