After the Pleistocene

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西武百貨店の敗退

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 JR船橋駅の南口に新しい道路がこの春開通した。駅前ビルFASEをぐるりと廻って本町通りの西向地蔵へ向かう「3・4・11道路」のことだ。3×4が11という半端な数字には意味がない。車の流れは非常に良くなった。人はパチンコ屋や飲み屋が集まった狭い路地(ここにはお稲荷さんもあるし、キリスト教会もあった。)をもう通らなくてもよいのだが、市役所などに行くのには皆まだこの路地を使っている。かって三田浜楽園と称された遊園地や歓楽街へは、この稲荷横丁という路地を大勢の人たちが肩がぶつかるほどに行き来したことだろう。
 しかし残念なことに、新開通の道路の入り口を占めている西武デパートがこの12月初めに閉店してしまった。今は目隠しの鉄板が周囲を囲っている。もう「お世話になりました。」の一言もない。あのオシャレなデパートは昨年50周年を祝ったばかりであった。勿論関係者は50周年祝いの時この事実を予想していたであろうが・・・。
 新聞報道によれば盛時1990年代半ばの三分の一ぐらいにしか売り上げが伸びないという。西武デパートがイトーヨーカドーの傘下に入ったことからか、イトーヨーカドーが南口にも進出するだろうと噂されているようだ。評判が良かったLOFTがただちに北口のヨーカドーに入ったのはさすがである。                       
 1960年代半ばこの西武が船橋に進出した時は、ちょっと皆が注目する存在だった。元の土地にはユアサの製粉工場があったかしら。サイロが4,5本立っていたと思う。もう記憶は怪しい。(いまでもこの店舗のオーナーは、ユアサ・フナショクになっている。) かってここには美術館があり、大きな書籍売り場があった。うまい中華料理が食べられた。私の好みかもしれないが、商品はちょっと高価だが都心のデパートと比べても垢抜けしていると思われた。1977年東武デパートが、1981年イトーヨーカドーが北口にできても、船橋周辺の団地群が急激に成長していた。しかし90年代後半から風向きが変わってきたようだ。団地周辺のスーパーマーケットが充実し、「ららぽーと」などアウトレットも近くに進出してきた。高価で凄くオシャレな商品より少しダサいモノの方が船橋では売れるということか。カミさんなんかの分析では食品売り場は東武の方が人気があったという。(最近ではJR船橋のガード下を占拠している「ふなばし生鮮市場」が改装して、しかも少し高級品も置くようになってかなり繁盛しているようだ。)誰かここら辺の、商業の栄枯盛衰をもっと分析したらきっと面白いものが出来上がるだろう。西武はお稲荷さんや地蔵さんにお願いをしたのかしら?
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