After the Pleistocene

A memory of my ramble
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赤坂憲雄「婆のいざない/地域学へ」
 多分 水木しげるの爛殴殴欧竜澗析此蹐發海侶鷲茲坊劼ると思う『一つ目小僧』は、山陰地方を中心とした製鉄や水銀製造など鉱業に長じた種族が元祖らしい。谷川健一によるとたたら(ふいご)を吹いて火の加減を見るこの人たちは、片目しか使わないことによってこのような奇形が生じたともいう。『メッカチ』なる蔑称も『眼鍛冶』からきていると知った。出雲地方のたたらと言えば『ヤマタノオロチ』も連想する。ヤマトタケルノミコトはおそらく出雲のこの集団を征服したのであろう。しかしその集団は日本全国に散らばって、その異能ぶりを発揮したに違いない。
 約二千年前ごろからこの日本に広がり始めた稲作農民(弥生人)は、次第に縄文人たちを山地に追い上げて大和朝廷を形作ったとは、この著者は解説していないが、民俗学の泰斗柳田国男と折口信夫の間で、村祭りの起源について激しい衝突があったと示す。
 「柳田ははじめに家の神があり、家の信仰があり、それがしだいに拡大することで村の祭りになり、さらには、地域の、また国家の祭りへと拡大していった。」のに対し、折口は「はじめにあるのは家やムラではなく、ムラとムラのはざまを漂泊する異人たちであり、訪れ人でした。神を背負って村々を訪れるマレビト、それは同時に宗教者であり、芸能者でもありました。」として、はじめにマレビトありきとしたのです。まつりはまつりごと、(すなわち芸能は政治に直結します。)『斉家治国平天下』をモットーとするなら、山地の遊民に祭りを任せる訳にはいかないと思うのも尤もだが、江戸幕府以前では国家の締め付けがゆるく、平地の民と山地の民が自由に往来していたことが次第に判明してきた。すなわち、赤坂は折口説に軍配を上げているのだが、今後中央集権的な要素に縛られない、それぞれの地方が持っている自然や風土、歴史や文化などを掘り起こして多元的な開かれたアイデンティティを作り出してゆきたい、そのために『地域学』『東北学』を推し進めてゆきたいと著者は願っている。東北大震災以降著者の意向がどう変化したのかも知りたいところである。

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