After the Pleistocene

A memory of my ramble
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80年目の2・26事件 (続き)
 『統制派』と『皇道派』との抗争が5・15事件(1932)を起こし、さらに2・26事件(1936)に至ったと言われる。どうしてこんな血なまぐさい手段しか『皇道派』は採れなかったのか。しかしこの事変が生起せず、もし彼らがに軍事と政治の実権を握ったとしたら、その後に続くあんな惨めな戦争は起こさなかったし、戦うにしてももっと手際のよい作戦を展開したのではないかとの好意的な想像が沸き上がるかもしれない。だが石原莞爾に罵倒されたごとく、荒木にしても真崎にしても大言を吐くだけで、頭の中は空っぽでそんな構想が練られていた形跡は全くない。結局は「皇軍」相打つ壮烈な戦闘がその後繰り広げられたかもしれない。
 昨年末、民族学者のベネディクト・アンダーソンがインドネシア、東ジャワのマランでひっそり亡くなった。当時の新聞報道を覗いてみると、12月16日に山本信人教授が読売新聞に追悼文を書いているだけで他は見当たらなかった。長年インドネシアでナショナリズムを研究し、あの9・30事件に遭遇し、国外追放されていた学者が、久しぶりに(30年ぶり)戻った先で暗殺されたのではないか、と思ったのは私だけではないだろう。(その後心不全で死亡と報道在り。)
 1965年9月30日に起きたインドネシアのクーデター騒ぎは凄まじい暴力をその国内にまき散らした。死者50万人とも300万人とも称され、行方不明者数知れず、スカルノ大統領はロボトミー化してトップにいるものの、いわゆる革命・反革命の波はとどまるところを知らなかった。2・26事件という我が国のクーデターにおいても、いったん火をつけられた日頃の鬱憤が反対勢力をリンチする凄惨な場面を恐怖しないではいられない。
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