After the Pleistocene

A memory of my ramble
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80年目の2・26事件
 昭和天皇は1926年末25歳で即位したが、その5年前大正10年から摂政として波乱の国政を見始めた。原敬首相が暗殺され、関東大震災が見舞い、世界経済恐慌が勃発する大変な時代だった。満州出先の関東軍が実際は引き起こした張作リン暗殺事件を、田中義一首相が虚偽の報告をしたため、怒って首相に辞表を提出させた若い天皇を80歳の元老西園寺が諫めた。立憲政治を目指す明治憲法の精神に則って、内閣が決めた事柄には異論を挟まないようにと。しかし1936年2月26日に起きた近衛兵の反乱に対しては、『わが股肱の臣をよくぞ・・・』殺してくれた、と再び激怒した。反乱がともかく鎮圧されて、『反乱将校に自決を勧めるにあたって勅使を賜りたい』という山下奉文(陸軍省軍事調査部長)等の願いも、天皇は『自殺するならば勝手に為すべく』として冷たく突き放した。
 昨年来本屋さんの店先には『昭和天皇実録』がうず高く積まれている。各巻厚さ5cmはある見た目にも重々しい書籍を横目で見ながら、「これはちょっと歯が立たないなあ!」と諦めていたところ、文春から「『昭和天皇実録』の謎を解く」が出たので早速覗いてみた。半藤一利、保阪正康、御厨貴、磯田道史、いづれも昭和史については一家言ある4人の対談を編集したものだ。この『実録』の実際の書き手『エース』が誰であるか、気にはしているが、従来の通説と外れていないことを皆認めている。
 2・26事件は最大の山場のひとつと言ってよいだろう。主要閣僚を惨殺し、警視庁や新聞社まで抑えた近衛師団将校の企みはほぼ成功したと言える、ただ皇居を占拠して天皇を確保することができなかった点を除いては。海軍や地方の師団から反発の声が上がったが、反乱将校たちに次は何をするのかという具体的なプランがなかった。(そして通信が漏れていた。)邪魔な上層部を取り除けば、後はまともな政府が『天皇親政』によって“自然と”立ち上がってくるだろうと楽観的な観測に基づいていたようだ。招集された軍事参義官で大将の荒木貞夫や真崎甚三郎、さらに本庄繁侍従武官長にしてもかれらの仲間と言ってもよい皇道派の上司だったが、結局彼らが反乱軍を説得する形で事態の収拾を図るしかなかった。『天皇親政』を目指したクーデターの目論見は、昭和天皇の強い意思表示によってあえなく最後は挫折した。しかしこのクーデター騒動(残虐行為)は、その後トラウマとなって大元帥としての強権を容易に発揮できないほど強い影響を与えたようである。そして必要以上に頼らざるをえなくなった『統制派』の東条ほど昭和天皇に擦り寄った人物はない。しかし昭和天皇が陸軍内部の軍閥抗争について、どれほどご存知であったか推量できる資料はない。
 
 

 
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