After the Pleistocene

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岡部伸「消えたヤルタ密約緊急電」
 情報士官Intelligence Officer" は、スパイ"Intelligence Agent"が持ち寄るいろいろ雑多な情報から、肝心な情報を選りすぐって上部に届ける。しかしその上部への伝達経路上で、勝手に握り潰されてしまったとしたら・・・いかに重要な情報であっても日の目を見ることはない。(ソ連のスパイ、ゾルゲの機密情報もスターリンをはじめソ連の中枢には最初なかなか信用されなかった。しかし伝えられてはいたようだ。)
 先の大戦の終盤、日本の情報士官・小野寺信はその任地スウェーデンからヤルタ密約(1945年2月)の情報を発信したのに、なんとまず最初にその電信を受け取る東京の参謀本部が握り潰してしまって、当時の閣僚や軍部の中枢に届くことはなかった。その密約はナチス・ドイツ降伏後3ヶ月を準備期間として、ソ連が対日戦に参加することだった。誠に残念なことに小野寺が得たこの機密が届かなかったために、日本政府はソ連に和平仲介を頼むというような無駄な努力を重ね、終戦までにさらに多くの人命を失ってしまった。
 しかし参謀本部の作戦課の奥の院は、情報参謀堀栄三の台湾沖航空戦大勝利が全くの幻であるという貴重な情報も捨ててしまったことがある。(1944年10月、その後のフィリピンでの作戦遂行上全く有害な影響を与えた。)この時奥の院の主任は瀬島龍三で、また小野寺の情報を握り潰したのも瀬島であった。彼は敗戦後、ソ連との交渉で約60万人の日本人を捕虜としてシベリアへ差し出した張本人だと言われている。この本ではさらに彼がソ連のスパイにこよなく近いと述べている。(かって保阪正康の『瀬島龍三 参謀の昭和史』では、瀬島氏が終始肝心なことについては、証言を逃げていると告げる。)
 小野寺信は1944年4月にはナチスドイツがソ連に襲い掛かることを予想し、さらに日本がこの大戦に参加するのには強く反対した。ポーランドやリトワニアの彼のエージェントが伝える情報は的確であり、小野寺はまた優れた情報士官であった。日本の戦争を速やかに終わらせようとする彼の最後の努力は、残念ながら実ることはなかった。
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