After the Pleistocene

A memory of my ramble
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台湾小旅行

JUGEMテーマ:旅行


 朝暗いうちに台北のホテルを出て散歩を試みた。時計を見たら6時前、しかし一時間の時差を修正していなかったことを思い出した。でも日本なら5時少し前でこんなに暗いだろうか。島崎藤村の一節を思い出した。建物が薄暗い、街路樹も老木で曲がりくね、どこもこれといって特徴のない街の表情に幻惑されて、自分がどこにいて、どこへ向かっているのかやがてわからなくなった。早朝から店を開いている餃子屋のオニイちゃんに英語で尋ねる。仕事の手を止めてズボンのポッケからケイタイを取り出すと二度三度逆さまにし、さらにもう一度二、三度回転させてからやっとホテルの方向を指さした。申し訳ないことに、わが懐には台湾のお金は一銭もなく、ただ「サンキュー」と言うばかりだった。ホテルの脇には昔日本人の墓があった割と大きな公園があったことを思い出した。
 二人の息子のよめさんたちが万端準備した初の海外家族旅行(総勢8人の大部隊)は、3泊4日の台湾紀行。こちとら、迷子にならない様に、皆さまのお荷物にならない様に、病気やスリに出会わないよう用心を重ねたつもりだが、その本心は金子光晴の東南アジア紀行。いつ、どこへ消え去っても可笑しくない心理状況だった。
 私の唯一の希望は「故宮博物院」だったが、日曜日のためか非常に混んでいてゆっくり見学できなかった。中国近代史でもう百年近い年月が過ぎているのに「中国共産党」の業績には一切触れていないのは当然か。それから秦の始皇帝の墓発掘についても、私の見落としかもしれないが何もなかった。(船橋の市役所の玄関にまで兵馬俑が飾ってあるのに。)
 台湾と言えば、司馬遼太郎の「台湾紀行」に出てくる八田與一であり、後藤新平であり、野球の嘉義農林であり、東山彰良の「流」であった。かなり押し付けだけれど、一方的にじわっ〜と愛情を感じるのは何だろうか。失った中国文明への憧れか?人混みの中を練り歩く史林夜市、十分の天燈ランタン飛ばし、九分でのお茶(あの「千と千尋」に出てくる茶楼『阿妹茶楼』で、長く待たされた後にようやく旨いお茶にありつけた。)などいろいろ話題はあるが、私にとって最高の収穫は台湾式のマッサージだった。最近聴力が衰え、もともと回転の遅い脳細胞は増々不活発となってとみに思考があやしくなってきていた。足裏から頭皮までこのマッサージで大幅に元気回復したのであろうか、そのあと4、5日すこぶる快調だった。これが永久に続けばなあ!
| Travel | 18:56 | comments(0) | trackbacks(0) | ↑PAGE TOP
松島へ

JUGEMテーマ:旅行


 先月下旬、別に漂泊の思いに駆られたわけでも片雲の風に誘われたわけでもなく、『最近旅行に行ってないわね、温泉にも入ってないわね。』というカミさんの声で仙台、秋保温泉、松島でぶらりと遊んできた。仙台城は一緒に来たことがあるというのだが、さっぱり私の記憶に残っていない。地下鉄の駅の大きな看板で、スケートの羽生ユズル君がここの出身だったと思いだした。松島は小雨が降っていた。
 伊達政宗建立という立派な伽藍の瑞巌寺は、海岸から200m位しか離れていないほゞ平らな土地に位置し、すぐ後ろには山が迫っていた。所どころ山の崖を削り石像を安置していた。瑞巌寺を参詣した後、海岸すぐ近くの食堂で昼飯を食べた。決して興味本位で訊いてはいけない事なのだが、この食堂のおねいさんにあの東北大震災のことを私は訊かないではいられなかった。あれからもう8年以上の歳月が経過したが、身内に不幸があった人々は決して忘れていないことだろうし・・・しかし訊かないではいられなかった。
 『ここらあたりは1m10か20ぐらいの高さまでしか波は来なかった。松島町では二人の犠牲者が出ましたが、どうも身体が悪い方だったようです。』と彼女は教えてくれた。波が届かなかった瑞巌寺は避難者の救護施設に早変わりしたそうだ。しかしどうしてそんなにここは被害が少なかったのだろう?
 旅行から帰ってから地図を睨んだ。この松島町や塩釜市を囲む松島湾はその湾口に大小の島々が存在していたことが幸いしたようだ、それらが障壁となってくれたのだと判ってきた。これに対し湾口に遮るものがない隣の石巻湾に位置する石巻市(死者・行方不明者3,708人)や東松島市(同、1,087名)では、なんともむなしい犠牲者を出してしまった。あの石巻市大川小学校の悲劇(生徒74名、教師10名死亡)も忘れることができない。
 仔細に調べたわけではないが、今回の大災害で神社・仏閣での被害が少ないような気がする。瑞巌寺さんもここまで考慮して建造されたのだろうか。きっとそうに違いない。

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湯の丸高原の秋

JUGEMテーマ:旅行



 明るく透き通った空を雲が流れてゆく。あれが浅間、向うが四阿山、この湯の丸山も含めいずれも頂上はうっすらと白い化粧を施している。カラマツの林も山腹の途中から上はその葉をほとんど落としていて、もう山はすっかり冬支度に入っていた。昔八ヶ岳の原村で見た黄金のカラマツ林を、今一度見てみたいものと思ってこの上信越高原に来てみたが、十月初旬ごろまでがその紅葉の見所だったかもしれない。
 「老来万事に物憂く」とまで言いたくないが、(小生の場合、老来でなく生来かもしれない)ジャストのタイミングで旅行するのはなかなか難しい。しかもこのところ時間感覚だけでなく、方向感覚までおかしくなってきた。先日六本木の国立新美術館(一陽展と安藤忠雄展)へ行こうとして、大手町で東西線から乗り換えてから「さあどうしよう」地下駅の迷路の中でと暫し迷ってしまった。今回の旅行でも、高崎までは「あの峰が平に見える山は荒船山」と昔の知識を振り回したが、高崎を過ぎて紅葉の妙義山が現れないのでどうしてしまったのかと考えた。どうも昔の信越線のイメージが頭に残っているのだ。この新幹線は大きく榛名の方に迂回し、軽井沢を通って佐久平へ向かうと気が付いた。車を持っていた頃はこの辺り、志賀高原とか草津万座へもよく来ていた。上越自動車道のドライブがなつかしい思い出。
 
| Travel | 10:54 | comments(0) | trackbacks(0) | ↑PAGE TOP
月山旅情
 蔵王中央ロープウエーで上がってすぐ、鳥兜山の頂上に立つと、雪を被った山脈がぐるりと見える。西南に飯豊連峰、西方にそれより大きな朝日連峰がそびえ立ち、さらにその北側に丸いドーム状の大きな山塊が座っている。この月山は標高1984m、ブリタニカによれば「まんじゅう笠をのせたように見える」とある。その姿はゆったりとして威厳があり、どこかユーモラスな感じさえする。
 先週初め山形にまた旅行して温泉を楽しんできたが、いまやすっかり夏の気配、持って行った衣類は少しかさばって重く感じた。上山温泉、蔵王温泉と寒河江と回ってきたが、ローカルなバスや電車はまれにしか走っておらず、マイカー族でないわれわれにとって足の確保は誠に不便極まりない。しかも自分たちの足はすっかり衰えている。昔はどこへでも歩いて行ったのに、いまは一時間も歩くとすぐ休憩が必要となる始末。たまたま上山では駅前で乗り合わせる旅館手配のマイクロバスに乗り遅れてしまった。実は早めに着いたので町中でゆっくり食事して散策していたら、定時よりわずか2分の遅れて戻ったのにバスはすでに行ってしまった後。あわてて宿に電話したら、すぐ迎えを寄こしたのには驚いたが、全く当方のミスなのに先方が恐縮しているのは、この業界の激しい競争の現れか。総じてどの旅館のサービスも非常に優秀である。
 『山形のサクランボ』は、はしりのものはもう一部出荷し始めたが、本格的には全くこれからという感じで、赤く色づき始めたサクランボを横目に見ながら寒河江の疎水沿いなど散策した。見た感じではサクランボは7割がた、大きなビニールハウスで栽培されている。タクシーの運転手さんに言わせると、サクランボの摘み取りの季節は農家は非常に忙しくて、誰も飲んだくれてなどいられないという。呑み屋街はガラガラだそうだ。いまそんなゾワゾワとした雰囲気が立ち上ってくる気配を感じた。残念ながら左沢の「日本一公園」には行けなかった。
| Travel | 22:25 | comments(0) | trackbacks(0) | ↑PAGE TOP
近江八幡 舟巡り
 4月1日、東京はもう桜が満開(ここ千葉は精々三分から五分咲きなのに)と聞き、じっとしてはいられないと関西に出かけたところ、琵琶湖周辺の桜はまだ残念ながらようやく開花し始めたばかり。今年は全体的に関西より関東の方が開花が早かったようだ。米原に泊まって窓を開ければ、琵琶湖の対岸の比良の山々から北の賤ケ岳、背後の伊吹山まで山の峰々はまだ雪を被っていて、湖面を渡る風は冷たかった。
 近江八幡の街の佇まいがしっとりとして素晴らしかった。街並みといい、人々の歩くさまといい、なにか別次元の世界に入り込んだ気がした。家々は確かに伝統的な造りになってはいるが、そんなに古ぼけてはいない。古い建物で白雲館や郵便局も残されているが、みな手入れが行き届いている。商家の玄関の黒格子や破風も板塀などもみなしっかりと磨かれているような感じ。
 老舗の『西川』という料理屋で近江牛を食した後、八幡堀の舟遊びを楽しんだ。僅か30分か40分の堀巡りだったけれども優雅な大宮人になった気分を満喫した。堀端から垂れる桜の枝が満開の花を付けているのを想像して満足するしかなかったが・・・。この町を作った関白秀次の悲劇は忘れよう。あの素晴らしい安土城の片鱗がここに残っている。この水路が近江商人を育んだという。
 今から40年前ごろ私はこの近辺、野洲に製造工場があってよく仕事で来たが、琵琶湖周辺はほとんど知らない。うちのカミさんから湖東三山の楽しい思い出はたくさん聞いているし、古い街並みの五個荘へも行きたい。また昨年11月上野の国立博物館で櫟野寺の十一面観音像を拝んで以来、少し足を伸ばして甲賀へも行って、あの素晴らしい観音様を仰ぎ見たいと思っている。さて実現できるだろうか?
 
| Travel | 23:01 | comments(0) | trackbacks(0) | ↑PAGE TOP
山形赤湯温泉
 先週初め(2月末)鷺沼城跡公園(私の好きな散歩コースのひとつ)を訪れたら、入り口のところで爽やかな黄色の花・サンシュユ(山茱萸)に出会う。今年は花芽が少ないが、また春が廻ってきたなあと思うこと暫し。確かにコブシも咲き始めたし、モクレンのつぼみも大きくなった。もうすぐ白銀の光を放つだろう。しかしうちのカミさんは東北地方に旅して『雪を見たい』という。本当はゆっくり温泉を楽しみたいのだが、それでは年齢が知れるというもの。
 山形の赤湯温泉に出かけた。新幹線で東京から僅か2時間半、お弁当を食べておしゃべりしていたらあっという間の時間である。東京駅でそのお弁当とミカンを買おうとしたら、冷凍のはあるが生のミカンがどこにも売っていない。「今の時期そんな馬鹿な」と怒ってみてもないものはない。探してくれた案内係の女性もそんな質問は初めて受けたようで、これにもびっくり。
 東北地方の3月初めはまだすっかり雪の中だ。歩くところはほぼ雪かきがしてあるが、街中でも40〜50儖幣紊寮磴残っている。野山の木々は枝から雪を払い落とし、足元の根回りはすっぽり雪が消えている。杉花粉発生元の赤黒い塊も見える。夜中にまた雪が降った。朝方風花のように舞い散る雪の中で露天風呂を楽しんだ。その昔、明治天皇が泊まられたそうだが、最近はトトロの宮崎駿が大石のくりぬき湯を楽しんだようだ。桜の名所烏帽子山公園をすぐ後ろに背負ったこの旅館は花見の頃はきっと大賑わいのことだろう。
 タクシーに乗って熊野大社へ行ったり、米沢の町を歩きまわったりしたが、好天とはいえやはり寒い、風が冷たい。『歩き回るには、もっと南の方がよかったわね。』というのがカミさんの総評でした。
 
| Travel | 11:08 | comments(0) | trackbacks(0) | ↑PAGE TOP
家族で箱根に遊ぶ
 初秋、仙石原は銀色に輝くすすきの穂に埋め尽くされているだろうと思ったが、残念ながら小雨がぱらつき、まだ時期的にも早くて、このすすきの景観は見ることができなかった。木々はほんのりと紅葉がはじまったばかり。宮ノ下の温泉はしっとりとしたいい湯加減だったし、誠に上等な料理でした。
 一月に有馬の湯で会って以来久しぶりに名古屋の孫ジャン家族と再会した。また少し太ったようなので「お〜い、体重何キロになったんだ?」と訊いたところ、この小学五年生は横向いて答えない。ベタベタと重ねて尋ねたら、「本人は嫌がっていますよ。」と彼の母親から注意された。まことにデリカシーに欠けたジジイと見られても仕方がない。現在身長1m43cm、中学生になってすぐに私の背を追い越すだろう。少し引っ込み思案かなと最初心配したが、宿でトランプをしたり、翌日サンドブラストのガラス工芸教室で一緒に学んだりしたところでは、全くそんな気配はなく、私にいろいろ教えてくれ、皆を明るくリードする少年。思えば小学5年生頃がなにをしても一番楽しかった時期ではなかったか。
 もう一人の孫リリーの家族も後から合流して、合計8人の大パーティになった。小学2年のリリーちゃんは前日縄跳びの練習をしていて、縄に引っかかって転び、わき腹とひじに内出血をする大ケガ。どうやら骨折もなく痛みも引いたようなので良かったが、なにが起きるか油断できない。二,三日前にGP機能付きのケイタイを買ったばかりで、そのケイタイの最初の実使用がこの騒ぎの連絡だった。
 8人が思い思いに苦労したガラス工芸教室はよい思い出になった。ここのところ家族で旅行するときはいつも、陶芸教室に参加して悪戦苦闘、珍品を製作していたが、今回はガラスコップに絵付け。仕上がった作品にみなそれぞれの思いが込められている。
 
| Travel | 23:04 | comments(0) | trackbacks(0) | ↑PAGE TOP
ポプラ並木とジシバリの丘(越後丘陵公園)
 野球場が三つ、四つ入るぐらい広い芝生の広場を囲んで、緩やかな丘が続く。丘の上にはポプラ並木が広がり、その足元にはジシバリの花野。一尺ばかりの花茎を掲げた数千のジシバリが皆思い思いのリズムで揺れている。蝶には蝶の歌を、風には風の歌を。並木の木陰で花に囲まれお弁当を食べ、少しうとうとしたが、この広い空間にはわれわれ夫婦しかいなかった。バラやアジサイ、ラベンダーの畑の方にはちらほらと客は見えていたが・・・でも温泉客でここの公園まで足を伸ばすもの好きはめったにいないだろうなあ。
 久しぶりにまた旅行に出かけた。夫婦とも腰痛を患ってから、残念ながらすっかり出不精になってしまった。今回は越後長岡から車で40分ぐらいの蓬平(よもぎひら)温泉に二泊三日。12年前の中越地震でも有名になった山古志地区のすぐお隣だ。山のところどころに棚田が作ってある。思ったよりその田は大きい。地震でその後放置された棚田も多いと聞く。山古志の人口は地震で約半分に減ってしまったそうだ。棚田のいくつかは錦鯉の養殖池になっていた。あんな高級な鑑賞魚をほっといて大丈夫なのかと心配になる。
 温泉の湯はエメラルド色のとろりとした味わい。なかなか良かった。食事はカミさんは褒めていたが、私は十皿もいろいろ料理を作るよりも、半分でもいいからもうちょっとじっくりと味わうものが欲しかった。
越後丘陵公園、ジシバリ
| Travel | 12:19 | comments(0) | trackbacks(0) | ↑PAGE TOP
春爛漫の東武動物公園
 観覧車の上から見ると、今や桜は五分から八分咲きへと変化し、野山は所々ピンクの雲か霞に包まれているかの様子。周りはまだ田や畑がいっぱいある田園地帯なのがたのしい。初めて都の北東、昔杉戸町といった町にある東武動物公園に、リリーちゃんを連れて遊んできた。でもわれわれの住むここ津田沼から、新京成の新鎌ヶ谷、東武柏、春日部を経てこの動物園前にたどり着く距離の長いこと、長いこと。待ち時間を含め、およそ2時間半ぐらいかかったかも。帰りは特急りょうもう号を利用して、浅草周りで帰ってきた。
 リリーちゃんは水泳教室に行ったり、英会話を習ったり、忙しく動いているが、一年間一度も学校を休むことなく、今度は二年生に進む。小学生になって保育園の時よりずうっと接触が減ってしまったが、ますます活発になり、われわれ老人はやり込められる回数が増えている。それでも最近犯人逮捕となった朝霞の女子中学生誘拐事件(なんと二年間も軟禁状態だった)を例にとって、カミさんは『知らない人から声を掛けられても、決して付いて行ってはだめよ。』と電車の中でしきりに教えていた。
 『ホワイトタイガーとヒグマが見たいの。』と、リリーちゃんが前もって予備知識をくれていたので、動物園の充実ぶりには期待していたが、木製ジェットコースターなどあそこまで遊園地の設備も揃えているとは知らなかった。広い池や小川に囲まれた施設は、少し古びた感じが出てきているものの、なかなか素晴らしい。二台あるうちの一台の観覧車が止まっていることや、レストラン設備のわびしさなどから、遊園地設備に金をかけすぎて台所は少し苦しいのかしら、などいらぬ御節介を考えてしまった。
 ヒグマもホワイトタイガーも堂々としてすばらしかったが、リリーちゃんも認めるようにチーターの雄姿が目に焼き付いている。アフリカの草原を毅然として見渡す風情、予想よりずっと大柄な体躯。俊足の短距離走者というより老獪で辣腕の狩人。それからモルモットやウサギ、ひよこなどを手で触れるふれあい動物のエリアもリリーちゃんは気に入ったようだ。オットセイのショウを楽しんだ後夕方少し寒くなってきたが、この週末から来週にかけてはもっと大勢の客で混雑することだろう。
 
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神戸・有馬温泉行
 名古屋の息子一家とは年始会えなかったので、神戸まで一緒に旅行して久しぶりに家族での団欒を楽しんだ。彼らは年末年始の長い休暇をコタキナバルでバカンスを過ごしている。(ここはボルネオ島の北部、ブルネイの隣の海岸でマレーシアのサバ州に属す。すぐそばに4000Mの山がそびえているそうだ。)
 日本の三大温泉の筆頭と自負する有馬温泉も、割と狭い山間に数多くの旅館がひしめく、一般的な温泉町と変わらない風景。しかし最近は有馬も会員制リゾート系の巨大ホテルが山の上の方に増えてきているようだ。中心地の、小さなお店が並ぶ、クネクネ曲がった坂道、「湯本坂」周辺の風情が昔の温泉街の雰囲気をちょっぴり伝える。縁台で名物のサイダー(炭酸が非常に強い)を飲み、『金の湯』の足湯に浸かった。この赤茶けた塩分の強い温泉は、残念ながらわれわれが泊まったホテルにはなかった。(この『金泉』に対し、もう一つの『銀泉』系統らしい)太閤秀吉が入った温泉はどちらの系統だったのだろう?
 帰りは神戸の元町・南京町をぶらついた。上野のアメ横みたいに軒先に商店がずらりと食い物を並べ、道路いっぱい客がそれを品定めする非常に込み合った状況。評判のお店の豚まんを列に並んでようやくゲット。味よく立ち食いをみなで楽しんだ。横浜の中華街と比較すると確かに「庶民的」と言えるかもしれない。いわゆる神戸のハイカラ趣味とこの庶民的混雑はどうマッチングするのだろう?と「お聖さん」にもう一度聞いてみたい。  
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