After the Pleistocene

A memory of my ramble
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近江八幡 舟巡り
 4月1日、東京はもう桜が満開(ここ千葉は精々三分から五分咲きなのに)と聞き、じっとしてはいられないと関西に出かけたところ、琵琶湖周辺の桜はまだ残念ながらようやく開花し始めたばかり。今年は全体的に関西より関東の方が開花が早かったようだ。米原に泊まって窓を開ければ、琵琶湖の対岸の比良の山々から北の賤ケ岳、背後の伊吹山まで山の峰々はまだ雪を被っていて、湖面を渡る風は冷たかった。
 近江八幡の街の佇まいがしっとりとして素晴らしかった。街並みといい、人々の歩くさまといい、なにか別次元の世界に入り込んだ気がした。家々は確かに伝統的な造りになってはいるが、そんなに古ぼけてはいない。古い建物で白雲館や郵便局も残されているが、みな手入れが行き届いている。商家の玄関の黒格子や破風も板塀などもみなしっかりと磨かれているような感じ。
 老舗の『西川』という料理屋で近江牛を食した後、八幡堀の舟遊びを楽しんだ。僅か30分か40分の堀巡りだったけれども優雅な大宮人になった気分を満喫した。堀端から垂れる桜の枝が満開の花を付けているのを想像して満足するしかなかったが・・・。この町を作った関白秀次の悲劇は忘れよう。あの素晴らしい安土城の片鱗がここに残っている。この水路が近江商人を育んだという。
 今から40年前ごろ私はこの近辺、野洲に製造工場があってよく仕事で来たが、琵琶湖周辺はほとんど知らない。うちのカミさんから湖東三山の楽しい思い出はたくさん聞いているし、古い街並みの五個荘へも行きたい。また昨年11月上野の国立博物館で櫟野寺の十一面観音像を拝んで以来、少し足を伸ばして甲賀へも行って、あの素晴らしい観音様を仰ぎ見たいと思っている。さて実現できるだろうか?
 
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山形赤湯温泉
 先週初め(2月末)鷺沼城跡公園(私の好きな散歩コースのひとつ)を訪れたら、入り口のところで爽やかな黄色の花・サンシュユ(山茱萸)に出会う。今年は花芽が少ないが、また春が廻ってきたなあと思うこと暫し。確かにコブシも咲き始めたし、モクレンのつぼみも大きくなった。もうすぐ白銀の光を放つだろう。しかしうちのカミさんは東北地方に旅して『雪を見たい』という。本当はゆっくり温泉を楽しみたいのだが、それでは年齢が知れるというもの。
 山形の赤湯温泉に出かけた。新幹線で東京から僅か2時間半、お弁当を食べておしゃべりしていたらあっという間の時間である。東京駅でそのお弁当とミカンを買おうとしたら、冷凍のはあるが生のミカンがどこにも売っていない。「今の時期そんな馬鹿な」と怒ってみてもないものはない。探してくれた案内係の女性もそんな質問は初めて受けたようで、これにもびっくり。
 東北地方の3月初めはまだすっかり雪の中だ。歩くところはほぼ雪かきがしてあるが、街中でも40〜50儖幣紊寮磴残っている。野山の木々は枝から雪を払い落とし、足元の根回りはすっぽり雪が消えている。杉花粉発生元の赤黒い塊も見える。夜中にまた雪が降った。朝方風花のように舞い散る雪の中で露天風呂を楽しんだ。その昔、明治天皇が泊まられたそうだが、最近はトトロの宮崎駿が大石のくりぬき湯を楽しんだようだ。桜の名所烏帽子山公園をすぐ後ろに背負ったこの旅館は花見の頃はきっと大賑わいのことだろう。
 タクシーに乗って熊野大社へ行ったり、米沢の町を歩きまわったりしたが、好天とはいえやはり寒い、風が冷たい。『歩き回るには、もっと南の方がよかったわね。』というのがカミさんの総評でした。
 
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家族で箱根に遊ぶ
 初秋、仙石原は銀色に輝くすすきの穂に埋め尽くされているだろうと思ったが、残念ながら小雨がぱらつき、まだ時期的にも早くて、このすすきの景観は見ることができなかった。木々はほんのりと紅葉がはじまったばかり。宮ノ下の温泉はしっとりとしたいい湯加減だったし、誠に上等な料理でした。
 一月に有馬の湯で会って以来久しぶりに名古屋の孫ジャン家族と再会した。また少し太ったようなので「お〜い、体重何キロになったんだ?」と訊いたところ、この小学五年生は横向いて答えない。ベタベタと重ねて尋ねたら、「本人は嫌がっていますよ。」と彼の母親から注意された。まことにデリカシーに欠けたジジイと見られても仕方がない。現在身長1m43cm、中学生になってすぐに私の背を追い越すだろう。少し引っ込み思案かなと最初心配したが、宿でトランプをしたり、翌日サンドブラストのガラス工芸教室で一緒に学んだりしたところでは、全くそんな気配はなく、私にいろいろ教えてくれ、皆を明るくリードする少年。思えば小学5年生頃がなにをしても一番楽しかった時期ではなかったか。
 もう一人の孫リリーの家族も後から合流して、合計8人の大パーティになった。小学2年のリリーちゃんは前日縄跳びの練習をしていて、縄に引っかかって転び、わき腹とひじに内出血をする大ケガ。どうやら骨折もなく痛みも引いたようなので良かったが、なにが起きるか油断できない。二,三日前にGP機能付きのケイタイを買ったばかりで、そのケイタイの最初の実使用がこの騒ぎの連絡だった。
 8人が思い思いに苦労したガラス工芸教室はよい思い出になった。ここのところ家族で旅行するときはいつも、陶芸教室に参加して悪戦苦闘、珍品を製作していたが、今回はガラスコップに絵付け。仕上がった作品にみなそれぞれの思いが込められている。
 
| Travel | 23:04 | comments(0) | trackbacks(0) | ↑PAGE TOP
ポプラ並木とジシバリの丘(越後丘陵公園)
 野球場が三つ、四つ入るぐらい広い芝生の広場を囲んで、緩やかな丘が続く。丘の上にはポプラ並木が広がり、その足元にはジシバリの花野。一尺ばかりの花茎を掲げた数千のジシバリが皆思い思いのリズムで揺れている。蝶には蝶の歌を、風には風の歌を。並木の木陰で花に囲まれお弁当を食べ、少しうとうとしたが、この広い空間にはわれわれ夫婦しかいなかった。バラやアジサイ、ラベンダーの畑の方にはちらほらと客は見えていたが・・・でも温泉客でここの公園まで足を伸ばすもの好きはめったにいないだろうなあ。
 久しぶりにまた旅行に出かけた。夫婦とも腰痛を患ってから、残念ながらすっかり出不精になってしまった。今回は越後長岡から車で40分ぐらいの蓬平(よもぎひら)温泉に二泊三日。12年前の中越地震でも有名になった山古志地区のすぐお隣だ。山のところどころに棚田が作ってある。思ったよりその田は大きい。地震でその後放置された棚田も多いと聞く。山古志の人口は地震で約半分に減ってしまったそうだ。棚田のいくつかは錦鯉の養殖池になっていた。あんな高級な鑑賞魚をほっといて大丈夫なのかと心配になる。
 温泉の湯はエメラルド色のとろりとした味わい。なかなか良かった。食事はカミさんは褒めていたが、私は十皿もいろいろ料理を作るよりも、半分でもいいからもうちょっとじっくりと味わうものが欲しかった。
越後丘陵公園、ジシバリ
| Travel | 12:19 | comments(0) | trackbacks(0) | ↑PAGE TOP
春爛漫の東武動物公園
 観覧車の上から見ると、今や桜は五分から八分咲きへと変化し、野山は所々ピンクの雲か霞に包まれているかの様子。周りはまだ田や畑がいっぱいある田園地帯なのがたのしい。初めて都の北東、昔杉戸町といった町にある東武動物公園に、リリーちゃんを連れて遊んできた。でもわれわれの住むここ津田沼から、新京成の新鎌ヶ谷、東武柏、春日部を経てこの動物園前にたどり着く距離の長いこと、長いこと。待ち時間を含め、およそ2時間半ぐらいかかったかも。帰りは特急りょうもう号を利用して、浅草周りで帰ってきた。
 リリーちゃんは水泳教室に行ったり、英会話を習ったり、忙しく動いているが、一年間一度も学校を休むことなく、今度は二年生に進む。小学生になって保育園の時よりずうっと接触が減ってしまったが、ますます活発になり、われわれ老人はやり込められる回数が増えている。それでも最近犯人逮捕となった朝霞の女子中学生誘拐事件(なんと二年間も軟禁状態だった)を例にとって、カミさんは『知らない人から声を掛けられても、決して付いて行ってはだめよ。』と電車の中でしきりに教えていた。
 『ホワイトタイガーとヒグマが見たいの。』と、リリーちゃんが前もって予備知識をくれていたので、動物園の充実ぶりには期待していたが、木製ジェットコースターなどあそこまで遊園地の設備も揃えているとは知らなかった。広い池や小川に囲まれた施設は、少し古びた感じが出てきているものの、なかなか素晴らしい。二台あるうちの一台の観覧車が止まっていることや、レストラン設備のわびしさなどから、遊園地設備に金をかけすぎて台所は少し苦しいのかしら、などいらぬ御節介を考えてしまった。
 ヒグマもホワイトタイガーも堂々としてすばらしかったが、リリーちゃんも認めるようにチーターの雄姿が目に焼き付いている。アフリカの草原を毅然として見渡す風情、予想よりずっと大柄な体躯。俊足の短距離走者というより老獪で辣腕の狩人。それからモルモットやウサギ、ひよこなどを手で触れるふれあい動物のエリアもリリーちゃんは気に入ったようだ。オットセイのショウを楽しんだ後夕方少し寒くなってきたが、この週末から来週にかけてはもっと大勢の客で混雑することだろう。
 
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神戸・有馬温泉行
 名古屋の息子一家とは年始会えなかったので、神戸まで一緒に旅行して久しぶりに家族での団欒を楽しんだ。彼らは年末年始の長い休暇をコタキナバルでバカンスを過ごしている。(ここはボルネオ島の北部、ブルネイの隣の海岸でマレーシアのサバ州に属す。すぐそばに4000Mの山がそびえているそうだ。)
 日本の三大温泉の筆頭と自負する有馬温泉も、割と狭い山間に数多くの旅館がひしめく、一般的な温泉町と変わらない風景。しかし最近は有馬も会員制リゾート系の巨大ホテルが山の上の方に増えてきているようだ。中心地の、小さなお店が並ぶ、クネクネ曲がった坂道、「湯本坂」周辺の風情が昔の温泉街の雰囲気をちょっぴり伝える。縁台で名物のサイダー(炭酸が非常に強い)を飲み、『金の湯』の足湯に浸かった。この赤茶けた塩分の強い温泉は、残念ながらわれわれが泊まったホテルにはなかった。(この『金泉』に対し、もう一つの『銀泉』系統らしい)太閤秀吉が入った温泉はどちらの系統だったのだろう?
 帰りは神戸の元町・南京町をぶらついた。上野のアメ横みたいに軒先に商店がずらりと食い物を並べ、道路いっぱい客がそれを品定めする非常に込み合った状況。評判のお店の豚まんを列に並んでようやくゲット。味よく立ち食いをみなで楽しんだ。横浜の中華街と比較すると確かに「庶民的」と言えるかもしれない。いわゆる神戸のハイカラ趣味とこの庶民的混雑はどうマッチングするのだろう?と「お聖さん」にもう一度聞いてみたい。  
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栃尾又温泉で亡き友人を想う
 魚沼市の永林寺で江戸末期の彫刻家石川雲蝶(1814〜1883)の木彫り作品を見た後、秘湯栃尾又の温泉に浸かった。体温とほぼ同じくらいの36℃のこの温泉では、皆眠るがごとく瞑想するがごとく一時間も二時間も湯の中でじっとしている。いつもカラスの行水の私も、無念無想・・・いやいやさまざまな雑念に取り囲まれて湯に浸っていた。今月心筋梗塞で急死した大学のクラスメート・青柳雄彦君のことを想っていた。
 湯宿の隣には古い薬師堂があって、その周りを樹齢400年を超す杉や欅の大木が囲んでいる。子持ち杉とか夫婦欅とか名前を付けられてしめ縄をめぐらした巨木もある。みな苔むし、しかも隆々とそびえたっている。そばを流れる小川の崖沿いには栃の大木もあった。私は栃の大きな葉っぱが大好きだ。もしもう一度人生をやり直して、もし広い庭の邸宅を構えることができたら、庭には桜と枝をいっぱいに広げた栃の木を植えたいと夢見ている。
 青柳君は卒業後大会社に就職したと思ったら、1年もたたずに辞め、学生時代から趣味のギターの専門店ギタルラ社を起業した。50年たった今では一流会社に成長している。彼は高校3年の時にヨーロッパを中心に39日間の世界一周旅行をした。これがクラスメートの中で自慢の種だったらしいが、私にはそんなことはなく、いつもにこやかに兄貴風を吹かしている友人だった。クラスであまり冴えない私に、『ポルトガルの女の子と文通しないか?』と紹介してくれた。卒業後大分経ってからクラス会で会ったとき、『ギター1本抱えて、夜汽車に乗って秋田まで届けたこともある。』と創業時の苦労を楽しそうに話してくれた。ギターとお客さんを大事にしている様子が印象深かった。その後ギターに詳しい友人にギタルラ社のことを尋ねたら、『うん、とても良心的なお店だよ。』と聞き、私はうれしかったと同時に、その経営を心配した。
 夜更けて湯に入ると、さらさらと湯口から流れる音と、谷を流れるせせらぎの音しか聞こえない。われわれの一生なんかこの一瞬でしかないのかなあ、と思いつつも、明るく朗らかでものにこだわらなかった青柳君の死を悼まないではいられない。
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新緑の京都
 4年ぶりにまた京都を訪れた。ゴールデンウィークが終わったといえ、本当に静かな京都を味わうにはいささか無理な話。大勢の観光客がたむろする人気スポットはできるだけ避け、仏像よりも庭園を見たいと思った。しかし訪れた嵐山や三十三間堂は、修学旅行の中学生や高校生も出始めて、銀座の雑踏のような混雑ぶり。
 一日目 醍醐寺 豊臣秀吉が花見をしたお寺で、京都最古の木造建築物といわれる五重塔が素晴らしい。
 二日目 嵐電に乗り嵐山へ。天龍寺も含め人人人。常寂光寺、二尊院と廻る。途中竹林の小道が味わい深し。
 三日目 東福寺 通天橋からの渓谷の新緑の眺めが良い。智積院から三十三間堂、さらに東本願寺の渉成園。
庭園の花はツツジが満開をやや過ぎたところか。いろいろな花々の景色は物足りないものだったが、新緑のモミジがいま目に優しい。これが秋には真っ赤な紅葉に変化するとはとても想像できない。雑草をしきりに取って手入れしていた苔庭の表情は、いまひとつ色合いがしっくりとしたものではなかった。少し乾燥していたせいかもしれない。いづれも名のある庭園でじっくりと鑑賞してきたが、池の水が濁っているのが気になる。利休好みの智積院の庭が素晴らしかったと思う。
天竜寺庭園
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散り急ぐ桜
  はかなくて過にし方をかぞふれば花にものおもふ春ぞへにける 式子内親王
「今年はどういうわけか散り急ぐ桜が気になってしょうがない。いつもこの時期にはつれない雨が降るのも例年のことなのに。そろそろ死期が近いのかなあ。」と私が云うものだから、カミさんに嗤われている。だが、ぽろり、ぽろりと親しい人が亡くなってゆくのも気のせいか。この雨でだいぶ花が散った。地面は桜の花びらで真っ白。
 私はこの季節訪れたことのない小金井公園とか深大寺の桜を見ようと思っていたが、今年もまた機会を逃してしまったようだ。これでは角館の桜や弘前城の桜は永久に見ることができないだろう。そういえばカミさんは新装なった姫路城に行きたいと云っていたが・・・なかなかその土地の、その一番の時に訪れるのは難しそうだ。
 
 
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北陸新幹線開通
 昭和40年代、北陸の金沢や福井への出張は大抵夜行列車だった。夜行で東京に戻ってきてそのまま会社に出たことも多かった。まだ少し体がギクシャクと痛むのを午前中は仕事の忙しさで忘れてたのに、午後になると『ぼあ〜』とあくびが出て止まらない。一度製造部のK君とタフタの品質検査かなにかで一緒に北陸に出張した時は、事前に彼と夜行列車の中でオイチョカブを教えてもらう秘密の約束をしていたが、酒を飲んでつい仕事の話に夢中になり、とうとうその機会を逸してしまった。夕暮れ時、だんだん離れてゆく駅のホームを、列車の窓際から眺めるのもまた風情があった。
 いまや東京ー金沢間が2時間30分を切る時代になって、こんな出張風景は夢みたいになった。あの頃は静岡あたりでも宿泊出張が一般だったのに。静岡の村上開明堂が懐かしい。榛原地区のスチロール成形工場たちは今どうなってるだろう? 北陸には繊維関係で何回も出張したが、あまり遊んだ経験はない。お得意さんの接待で能登の温泉『加賀屋』に一回泊まったことがあるある程度。金沢については五木寛之のエセーで教えられたことが多かった。『モーレツな』高度成長期、東京や大阪の大都会から引き込むようにして暮らした金沢での生活が、もう少しゆとりを求めるわれわれ同世代の共感を呼んだものか。最近の金沢について五木寛之はどんな反応をしているのかな。いや、もうそんなことは誰も気にしていないのかもしれないが・・・
 
 
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