After the Pleistocene

A memory of my ramble
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リチャード・ドーキンス 「進化とは何か」
 チャールズ・ダーウィンも非常に興味を持った如く、『眼』の進化は確かに動物の生態に大いに影響を与えたことだろう。真っ暗闇に漂っているより、近づいてくる物体を明暗で判断するようになり、さらにその陰影で、さらにぼんやりとしていてもその形態で、さらにその色彩で判断できるように、漸進的に眼は進化したであろうと思われるが、3億5千年前の生物アンモナイトはすでにピンホール型の眼を持っていたようだ。
 ドーキンス博士は、生物はどうやって完璧な姿に進化したのかという問題を、金貨が詰まった簡単なダイヤル錠の例を使って説明する。三ケタの1から6までのダイヤルは最大216回の試行で開くが、各ケタで当選のナンバーに至ったとき、ほんの少しだけ、中の金貨をこぼす仕組みになっているなら、最大たったの18回で完全に開く。僅かづつ幸運を引き寄せる仕組みは、奇跡を巻き起こす。コンピューター上に眼のモデル(平面上の網膜から現在のわれわれの眼のように完成する)をくみ上げて計算したところでは、最大たったの25万世代の短い時間で進化が完成した。動物の1世代はほぼ1年くらいなので、約25万年。これは地質学的時間では非常に短時間のことだ。
 ダーウィニズムというのは非常にゆっくりとした小さな変化の積み重ね現象で、盲目的で無意識なプロセスと説明される。そしてわれわれの人生スパンではどの方向に人類は向かっているのかわからないことが非常にイラつかせる。トランプ勝利後世界はますます波乱含みとなってきた。先月約39光年先に7個の地球型惑星の可能性を持つ天体、トラピスト1が発見されたのは明るいニュースだろう。

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「6度目の大絶滅」
 映画「インフェルノ」では、大富豪で遺伝学者のバートランド・ゾブリストという人物が、地球が人口過剰で破滅するのをこのまま傍観するより、猛毒の「インフェルノ・ウィルス」で今の人口を半分以下に削減してそれを食い止めよう、という全くメチャクチャな論理を振り回し、ラングドン教授を翻弄する。科学技術の発展は素晴らしいがそれ以上に人間の自然破壊は凄まじくて、このままでは6度目の地球大絶滅を招来するというのだった。
過去5回の大絶滅で一番有名なのが今から6500万年前、白亜紀の終わりにユカタン半島に落ちた大隕石よるもの(定説)だが、ここで権勢を極めた恐竜たちが死に絶えた。それでも生物の死亡率は70%で、ペルム紀末の絶滅(第三回目)と比較するとまだ明るい。この2億5千年前の絶滅では、95%の生物相が消えたと言われている。(原因は大陸大移動説)しかし700万年前に出現したわれわれ人類の祖先にとっては、遠い昔のことだった。
 元ニューヨーク・タイムズの記者エリザベス・コルバートが書いたベストセラー『6度目の大絶滅』は、現にこの世界で今6度目の大絶滅が進行していると警告を発する。海水が酸性化してサンゴが溶け始め、その1/3が死滅し始めている。地球温暖化の影響は植物相や動物相に莫大な被害をもたらし、哺乳類の1/4、植物相の1/2が絶滅の危機に瀕しているという。私にはピンとこないが、2050年までに100万種が絶滅するだろうとBBC放送などが伝えている。一方世界の人口は2050年には96億人に達するだろうと推測されている。(2011年70億人)
私はこの本にしてもトーマス・フリードマンの『グリーン革命』などを読んでも、地球環境の激変から生じる人間社会の未来については正直あまり関心を持てない。むしろ暴言を吐くドナルド・トランプ氏の今後の動向が気になってしょうがない。彼以外でもポピュリズムの政治家が世界のあちこちで頂点に立っている。問題は大統領の椅子に座ったトランプ氏が誤って核ボタンを押してしまうような事態になりはしないかということだ。民族紛争や宗教戦争、それに資源の争奪戦と心配の種は尽きない。正月休みは河野和男氏の『カブトムシと進化論』をゆっくり読んでいたい。
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「もうすぐ絶滅するという紙の書物について」
 リオ・デ・ジャネイロのオリンピック開会式を見ていて、選手たちが手に手にスマホをかざしながら入場してくる姿にちょっと驚いた。以前の8ミリや普通のデジカメを持った人は少ない。盛んにスマホで自撮りをしている。次回の東京オリンピックでは、ウエアラブルなビデオカメラやカメラ付きゴーグルを付けて選手は入場してくるかもしれない。この長い題名の本は、イタリアのウンベルト・エーコとフランスのジャン=クロード・カリエールの二人の碩学による、最近の電子機器の発達で書物が絶滅するのではないかと未来学者が発言するのに触発されて企画された対談だが、むしろ書物について日ごろの蘊蓄を傾けた楽しいおしゃべりになっている。
 『書物はもちろん読まれるたびに変容します。それは我々が経験してゆく出来事と同じです。偉大な書物はいつまでも生きていて、成長し、我々とともに年を取りますが、決して死にません。』とカリエールが語る。焚書の刑を科しても決して本はなくならないし、読まれなくてただ書架に積んでおくだけでも書物の価値が出てくるという。実際題名だけは知っていても、読んでない本がなんと沢山あることだろう。確かに本棚はワインセラーに似ている。
 ポルトガルのコインブラの図書館でのエーコの経験談がおもしろい。インキュナブラ(15世紀半ばから16世紀初め頃の初期の印刷技術で作られた稀覯本)など貴重な書物に囲まれた一室で、机にフェルト布が被せられていたので、これは何かと尋ねたところ、蝙蝠の糞から本を守るためと図書館員はいう。蝙蝠を退治したらというと、蝙蝠は紙魚を食べてくれるから駆除しないという。更に紙魚もまたどのようにページの内部を食っていって、どのように製本されたのか、新しく差し込まれたページがないかどうかも教えてくれるので、ないがしろにはできないという話をエーコは聞いた。書かれている内容とともに、本そのものの成立が物語になっている。
 
| Book | 17:41 | comments(0) | trackbacks(0) | ↑PAGE TOP
80年目の2・26事件 (続き)
 『統制派』と『皇道派』との抗争が5・15事件(1932)を起こし、さらに2・26事件(1936)に至ったと言われる。どうしてこんな血なまぐさい手段しか『皇道派』は採れなかったのか。しかしこの事変が生起せず、もし彼らがに軍事と政治の実権を握ったとしたら、その後に続くあんな惨めな戦争は起こさなかったし、戦うにしてももっと手際のよい作戦を展開したのではないかとの好意的な想像が沸き上がるかもしれない。だが石原莞爾に罵倒されたごとく、荒木にしても真崎にしても大言を吐くだけで、頭の中は空っぽでそんな構想が練られていた形跡は全くない。結局は「皇軍」相打つ壮烈な戦闘がその後繰り広げられたかもしれない。
 昨年末、民族学者のベネディクト・アンダーソンがインドネシア、東ジャワのマランでひっそり亡くなった。当時の新聞報道を覗いてみると、12月16日に山本信人教授が読売新聞に追悼文を書いているだけで他は見当たらなかった。長年インドネシアでナショナリズムを研究し、あの9・30事件に遭遇し、国外追放されていた学者が、久しぶりに(30年ぶり)戻った先で暗殺されたのではないか、と思ったのは私だけではないだろう。(その後心不全で死亡と報道在り。)
 1965年9月30日に起きたインドネシアのクーデター騒ぎは凄まじい暴力をその国内にまき散らした。死者50万人とも300万人とも称され、行方不明者数知れず、スカルノ大統領はロボトミー化してトップにいるものの、いわゆる革命・反革命の波はとどまるところを知らなかった。2・26事件という我が国のクーデターにおいても、いったん火をつけられた日頃の鬱憤が反対勢力をリンチする凄惨な場面を恐怖しないではいられない。
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80年目の2・26事件
 昭和天皇は1926年末25歳で即位したが、その5年前大正10年から摂政として波乱の国政を見始めた。原敬首相が暗殺され、関東大震災が見舞い、世界経済恐慌が勃発する大変な時代だった。満州出先の関東軍が実際は引き起こした張作リン暗殺事件を、田中義一首相が虚偽の報告をしたため、怒って首相に辞表を提出させた若い天皇を80歳の元老西園寺が諫めた。立憲政治を目指す明治憲法の精神に則って、内閣が決めた事柄には異論を挟まないようにと。しかし1936年2月26日に起きた近衛兵の反乱に対しては、『わが股肱の臣をよくぞ・・・』殺してくれた、と再び激怒した。反乱がともかく鎮圧されて、『反乱将校に自決を勧めるにあたって勅使を賜りたい』という山下奉文(陸軍省軍事調査部長)等の願いも、天皇は『自殺するならば勝手に為すべく』として冷たく突き放した。
 昨年来本屋さんの店先には『昭和天皇実録』がうず高く積まれている。各巻厚さ5cmはある見た目にも重々しい書籍を横目で見ながら、「これはちょっと歯が立たないなあ!」と諦めていたところ、文春から「『昭和天皇実録』の謎を解く」が出たので早速覗いてみた。半藤一利、保阪正康、御厨貴、磯田道史、いづれも昭和史については一家言ある4人の対談を編集したものだ。この『実録』の実際の書き手『エース』が誰であるか、気にはしているが、従来の通説と外れていないことを皆認めている。
 2・26事件は最大の山場のひとつと言ってよいだろう。主要閣僚を惨殺し、警視庁や新聞社まで抑えた近衛師団将校の企みはほぼ成功したと言える、ただ皇居を占拠して天皇を確保することができなかった点を除いては。海軍や地方の師団から反発の声が上がったが、反乱将校たちに次は何をするのかという具体的なプランがなかった。(そして通信が漏れていた。)邪魔な上層部を取り除けば、後はまともな政府が『天皇親政』によって“自然と”立ち上がってくるだろうと楽観的な観測に基づいていたようだ。招集された軍事参義官で大将の荒木貞夫や真崎甚三郎、さらに本庄繁侍従武官長にしてもかれらの仲間と言ってもよい皇道派の上司だったが、結局彼らが反乱軍を説得する形で事態の収拾を図るしかなかった。『天皇親政』を目指したクーデターの目論見は、昭和天皇の強い意思表示によってあえなく最後は挫折した。しかしこのクーデター騒動(残虐行為)は、その後トラウマとなって大元帥としての強権を容易に発揮できないほど強い影響を与えたようである。そして必要以上に頼らざるをえなくなった『統制派』の東条ほど昭和天皇に擦り寄った人物はない。しかし昭和天皇が陸軍内部の軍閥抗争について、どれほどご存知であったか推量できる資料はない。
 
 

 
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岡部伸「消えたヤルタ密約緊急電」
 情報士官Intelligence Officer" は、スパイ"Intelligence Agent"が持ち寄るいろいろ雑多な情報から、肝心な情報を選りすぐって上部に届ける。しかしその上部への伝達経路上で、勝手に握り潰されてしまったとしたら・・・いかに重要な情報であっても日の目を見ることはない。(ソ連のスパイ、ゾルゲの機密情報もスターリンをはじめソ連の中枢には最初なかなか信用されなかった。しかし伝えられてはいたようだ。)
 先の大戦の終盤、日本の情報士官・小野寺信はその任地スウェーデンからヤルタ密約(1945年2月)の情報を発信したのに、なんとまず最初にその電信を受け取る東京の参謀本部が握り潰してしまって、当時の閣僚や軍部の中枢に届くことはなかった。その密約はナチス・ドイツ降伏後3ヶ月を準備期間として、ソ連が対日戦に参加することだった。誠に残念なことに小野寺が得たこの機密が届かなかったために、日本政府はソ連に和平仲介を頼むというような無駄な努力を重ね、終戦までにさらに多くの人命を失ってしまった。
 しかし参謀本部の作戦課の奥の院は、情報参謀堀栄三の台湾沖航空戦大勝利が全くの幻であるという貴重な情報も捨ててしまったことがある。(1944年10月、その後のフィリピンでの作戦遂行上全く有害な影響を与えた。)この時奥の院の主任は瀬島龍三で、また小野寺の情報を握り潰したのも瀬島であった。彼は敗戦後、ソ連との交渉で約60万人の日本人を捕虜としてシベリアへ差し出した張本人だと言われている。この本ではさらに彼がソ連のスパイにこよなく近いと述べている。(かって保阪正康の『瀬島龍三 参謀の昭和史』では、瀬島氏が終始肝心なことについては、証言を逃げていると告げる。)
 小野寺信は1944年4月にはナチスドイツがソ連に襲い掛かることを予想し、さらに日本がこの大戦に参加するのには強く反対した。ポーランドやリトワニアの彼のエージェントが伝える情報は的確であり、小野寺はまた優れた情報士官であった。日本の戦争を速やかに終わらせようとする彼の最後の努力は、残念ながら実ることはなかった。
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丸川知雄「チャイニーズ・ドリーム」
 中村邦夫社長の時代に『パナソニック』のアドバイザーを務めたフランシス・マキナニ―は、中国訪問を自分の健康に危害を加える行為とみなし、さらに「(クラウド・システムを使うことを全く認めない現在の)中国の生産システムはネアンデルタール人のレベルであり、ネアンデルタール人と同様に、いずれ絶滅する運命にあるとしか思えない。」(『日本企業はモノづくり至上主義で生き残れるか』2014)とまで極評する。しかしこの著者・丸川知雄は至って楽観的に中国経済を観察し、押し込めようとしても押し込められない民間企業の成長力が中国経済の原動力になっている、と断言する。
 ゲリラ的に製造して世界市場を席巻した携帯電話、瞬く間に日本を追い抜いた太陽電池、そして法規制を巧みに逃れ中国の街頭風景を一変させた電動自転車など、この本の中で示された中国製造業の強さの原動力は、小資本でも事業で成功して資本家になる夢を持つ中国人(チャイニーズ・ドリーム)が非常に大勢存在することだという。主役は政府・共産党・国家ではないようだ。それらは民間の旺盛な事業意欲をむしろ阻害する方向に動いてるのではないかと私は類推してしまう。著者はこれら小資本家が活躍する世界を『大衆資本主義』と命名している。そして「大衆資本主義が世界を変える」と。この楽観的な丸川の予測が、国家の強権でいつ一昔前の『国家資本主義』にひっくり返ることもありうる。私にはまだ予測不可能だが、一般の中国人がほんの少し金をためると、すぐ金融業や不動産業に走る傾向があることも危惧しないではいられない。
 
 
| Book | 23:47 | comments(0) | trackbacks(0) | ↑PAGE TOP
東大社研 「<持ち場>の希望学」
 東大社研の『希望学』なるものが、どんなものだか全く知らずこの本を読みだした。この本の副題『釜石と震災、もう一つの記憶』に注目して。しかしこのブログでも前に取り上げたいわゆる『釜石の奇跡』を、津波犠牲者の少なかったことを、フォローするような内容では全くない。むしろ災害が襲ってきた以降、各自の持ち場を懸命に死守しようとした数多くの市民、病院の医師や看護師、消防団員、災害対策本部の市役所の職員、企業のトップなどの奮闘の記録であり、それは同時に『この震災の試練を未来の希望につなげようとする営み』の記録でもあった。
 凄まじい破壊の後、夥しいがれきの下に溺死体が埋まっている。交通・通信手段がほとんど途絶した状態でお互いの消息確認が始まる。行方不明者の捜索とともに、腐敗し変容し始めた遺体の確認作業が進むが、身元を確認するものが非常に少ない。(実は誰も懸念していたことが眼前に現れるため、その身元を確認したくないのだ。)死体の焼却設備が近県をめぐっても余裕がない。けが人・病人には手当を、被災者には食糧と休息の場所を与えねばならない。これらに携わった担当者は最初一二週間寝る間もない忙しさであった。(でもどんなことでも記録に残しておかないと、人々の記憶はすぐ風化し始める。)
 混乱の中で取り扱いの不平等をめぐって大声を上げる被災者もいた。ひたすら謝ってその苦情を聴く役目の職員もいた。毎日非常に辛いことだったろう。被災者たちがなんでも受け身の立場ではなく、自らが地域住民の自治組織の中に加わって働く(自分の『持ち場』を持つ)ことに生きがいを感じた、という経験は、今後の災害対策にもぜひ生かしてほしい思う。
| Book | 11:11 | comments(0) | trackbacks(0) | ↑PAGE TOP
司馬遼太郎「台湾紀行」
 夏のこの極暑の時期をなんとしてもしのいで行かねば・・・そんな少し悲壮な想いで日々過ごしている。今年の暑さは格別の感じがする。こんな時にはさらりとした紀行文を読むのが良い。以前から一度は読んでみたいと思っていた「台湾紀行」を手にする。
 児玉源太郎、後藤新平、新渡戸稲造、音楽家の井沢修二、土木技師の浜野弥四郎、八田與一たちの話は、司馬遼太郎の筆法を真似るなら、戦前の日本の植民地政策で出現した、上澄みの最良の部分だけ掬い上げた挿話に満ちている。私もたちまち『涙袋』になってしまった。嘉義農林(昭和6年=1931甲子園の全国中等学校野球大会で2位になったことがある)の先生の奥さんだった70余歳の蔡昭昭さんから、「日本はなぜ台湾をお捨てになったのですか」と筆者が問い詰められたとき、朝鮮から満州、台湾、南洋の島々から、日本を懐かしむ何百万の声が私の耳にも聞こえたような気がした。
 
| Book | 22:39 | comments(0) | trackbacks(0) | ↑PAGE TOP
司修 「孫文の机」
 この本のカバーになった薄暗い写真は、乱雑な書斎の机の前に若い人物がこちらを向いて座っている構図。この人物は革命家の孫文ではない。著者の司修でもなさそう。しかしこの写真の謎を解き明かすことがこの本の主題ではなさそうだ。これは小説でもない。純粋に評論でもなく随想に近いものだが、後半著者本人が出てくるのに、その口から何らかの感想が述べられることはなく、参考文献を張り付けた評伝風な解説をつけているのが気に食わない。
 栃木県下都賀郡の谷中村出身の大野家の三兄弟、和田日出吉(記者)、逸見猶吉(詩人)、大野五郎(画家)の生涯を追った昭和初期から戦後までの物語でもある。祖父大野孫右衛門と彼らの父親はかって廃村になった谷中村の村長を務めたが、足尾銅山鉱毒事件で財を成したという暗い影を背負っていた。
 次男日出吉は和田家に夫婦養子に入り、中外商業新報(現日本経済新聞)の敏腕記者で女優小暮実千代の夫。昭和11年の2・26事件の際は真っ先に首相官邸に入り、首謀者の一人栗原中尉に単独インタビュウしている。しかしそれは発表されることはなく、また直後戒厳令によって事件の全貌は国民には全く不明であった。(反乱部隊に踏み込まれた朝日新聞は別として、他の新聞社は5・15事件の時のように抵抗すべきであった。)四男の大野四郎、ペンネーム逸見猶吉は酒飲みで野獣派の詩人草野心平などの仲間、そして大野五郎はフォビズムの前衛画家でこれまた大酒飲み。国内で発言の場を封じられた和田日出吉が『満州新聞』に活路を見出したのは理解できるが、岸信介や鮎川義介、甘粕元憲兵隊長と「同じ穴の狢」となってしまったようだ。
 物語は「2・26事件」と「足尾鉱毒事件」と「満州国」とを絡めた三人の兄弟の足取りを描いているが、酔いつぶれた酒飲みの足取りのごとく行き先が定かではない。治安維持法で縛られた異端の芸術家たちが、どのようにして戦前戦中を過ごしたかは確かに興味のある問題ではあるが。
 ところで、2・26事件で処罰された皇道派がもし権力を握っていたなら、日中戦争は拡大しなかったし、太平洋戦争まで発展しなかったろうという説があるが、この説はだれか検証しているだろうか?
| Book | 23:19 | comments(0) | trackbacks(0) | ↑PAGE TOP