After the Pleistocene

A memory of my ramble
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対訳シナリオで見る「英国王のスピーチ」

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 身分を隠して現れた女性から「主人の吃音症を治してほしい。」と頼まれたオーストラリア出身の言語矯正士ライオネルは、その主人ヨーク公(愛称バーティ、後のキング・ジョージ6世)と初対面の時に、まずあなたをなんとお呼びしたらよいかと尋ねる。この紹介のやりとりは、ライオネルの妻、マートルが初めてこの皇子夫妻にあったときにも繰り返される。後の王妃エリザベスのユーモアあふれる対応とともにほろッとする場面だが、別室に居たバーティがすぐ飛び出してゆこうとするところを、ライオネルは抑えてしまう。なぜなのか?人は極度の緊張状態では考えがまとまらない、言葉が出てこない、この吃音が生じる基礎的な状況に誰しも陥ってしまうのだとわれわれに教えてくれるのだが、二言三言話しただけで出身階級がわかってしまうというイギリス社会の一片も覗かせる。
 矯正法についてバーティとライオネルの間でなんどもぶつかり合い、(口の中にビー玉をいっぱい詰めてしゃべらせたり、腹筋を鍛えたり、早口言葉を練習したりなど、その間いろいろな矯正法を試している)バーティの成長期におけるゆがんだ心理的圧迫がその底に横たわっているのだと次第に明示される。聡明な(?)兄(のちにシンプソン夫人の問題で1年足らずで退位したエドワード8世)や、好きなおもちゃは取り上げられる、左利きを無理やり右利きに直されるなど皇室の窮屈な雰囲気で育てられた。
 いよいよ戴冠式が行われようとなったとき、そのリハーサルの場でまたもやバーティとライオネルの間で火花が飛び散った。大司教に少し冷たくされたバーティが、いら立って「ドクター・ローグ」と呼びかける。ドクターの称号を名乗っていないライオネルが「ドクター」と言われて鋭く反応する。これは星室裁判所の尋問かと?(イングランドの星室裁判所を知っている人は相当英国史に詳しい人だろう。)
 戴冠式の聖なる椅子、聖エドワードの椅子にちゃっかり座るライオネルに対し烈火のごとく怒ったバーティに対し、「キングなんかにはなりたくない」とわめいていた男の話をどうしていま聞いてあげねばならないのだ、とライオネルは反論する。それに対し「なぜなら私は聞いてもらう権利があるからだ。」とバーティは叫ぶ。
     Because I have a right to be heard!
     Heard as what?
     I have a voice.
      Yes you do.
これは王様だけでないすべての人々の叫びだったろう。大戦から帰還したものの戦争神経症(shell shocked)に陥って死ぬほどちじこまってしまった兵士らの声を聞いてやれない歪んだ社会の仕組み。誰にもその言葉を聞いてもらう権利があるのだと主張するものだった。
 アカデミー賞脚本賞(脚本デヴィッド・サイドラー)を得た作品を今更すばらしいと褒めるのもおこがましいが、実に脚本の構成が緻密でリズムがある。英独二国間のコンフリクトを忘れさせるほど二人のそれは緊張に満ちたものであった。監督 トム・フーバー
| Movie | 12:10 | comments(0) | trackbacks(0) | ↑PAGE TOP
映画「ウィンストン・チャーチル」

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 ヒトラーのドイツによって欧州戦線が崩壊の危機に立った時、チャーチルがたまたま迷い込んだ地下鉄の中での出来事。(彼はそれまで地下鉄に乗ったことがなかった。)乗客たちとの会話から、物語はぐんぐんクライマックスへと進む。ナチス・ドイツに降伏すべきかというチャーチルの問いに、乗客たち皆NEVER"と声を揃えて彼を励ます。それから彼の有名な演説We shall never surrender."の議会演説に昇りつめてゆく迫力がすばらしい。映画が切り取った時間は、チャーチル組閣のときからダンケルク撤退までの僅4週間ばかりなのだが、永遠に記憶される歴史となった。
 同じ日々を描いた映画「英国王のスピーチ」では、これからナチス・ドイツに対し宣戦布告を行う吃音症に悩むジョージ6世に対し、自分も言語障害があったとチャーチルは告げて国王の緊張をほぐす。実際チャーチルの記録映画を見るとその声は少しくぐもって聞こえる。しかしゲイリー・オールドマン演じるチャーチルは非常に明瞭で、そのメーキャップはアカデミー賞を得たように、見事に彼を再現している。(これが映画「レオン」でとんでもない刑事役演じたゲイリー・オールドマンと思えるか。)それにしてもいつも思うのだが、イギリス議会の議場の雰囲気は名優の舞台を彷彿とする感がある。
映画は大勢のイギリス市民が自ら自分のヨットや船舶を繰ってダンケルクに駆けつけ、55万8千人を助けた撤退作戦を開始する場面で終わるが、ドイツにおける親イギリス派とイギリスにおけるドイツ宥和派との絡みはなかなか興味がある。チャーチルが第一次大戦の海軍大臣のとき採ったガリポリの戦いの失敗が非常に彼の足を引っ張っているのは分かるが、諜報活動インテリジェンスを好む姿はここには描かれていない。
 監督 ジョー・ライト 妻 クリスティン・スコット=トーマス 秘書 リリー・ジェームズ 
| Movie | 22:34 | comments(0) | trackbacks(0) | ↑PAGE TOP
映画「ペンタゴン・ペーパーズ」

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 女優メリル・ストリープの本当の素顔というものは、「アイアン・レディ」のマーガレット・サッチャー首相か、それとも「プラダを着た悪魔」のミランダ・プリーストリー編集長か、それともこの映画のワシントン・ポストの社主キャサリン(ケイ)・グラハムの優雅で慎ましい人物か、これらのうちどれにに一番近いのだろう?この映画ではキャリアー・ウーマンにして社会的にワシントンの上流階級に属するキャサリンが、自分の父が買収した地方新聞をいかに経営して行くか、(しかも父の後経営を継いだ夫のフィリップは自殺している。)新聞社としての使命をいかに果たしてゆくのか、もしかすると牢獄にぶち込まれる可能性も大いにある深淵を覗きながらも、優しいだけではない最後は力強く、はっきりと決断する姿を見せてくれる。
 今では新聞社の社主という役目はあまり意識されなくなってしまった。(近年はインターネットの発達で新聞の影響力自体が大分落ちているが・・・)かって明治時代の「時事新報」の福沢諭吉先生を別格にしても、朝日新聞の村山龍平、読売新聞の正力松太郎などの紙面に対する影響は非常に大きいものがあった。この混迷の時代に新聞の指導性がもっとあってもよいと思うが・・・
 1971年リチャード・ニクソン政権下で作成されたベトナム戦争に関する秘密報告書(いわゆるペンタゴンペーパーズ)をダニエル・エルズバーグが密かに持ち出し、ニューヨーク・タイムズの記者ニール・シーハンに見せたが、続いてワシントン・ポストにも見せて、それがベトナム戦争の秘密が公開されるきっかけとなった。法廷でアメリカ憲法修正第一条「言論の自由」の法廷闘争になり、新聞側は勝利した。折からのベトナム反戦運動の高まりの中で。
 有能な編集主幹のベン・ブラッドリー(トム・ハンクス)は最初から攻撃的な記者魂の持ち主で、編集室を取り仕切るが、ベトナムの戦場で多数の若者を死傷させる悲惨な現状を止めさせるべき、もう少し人道的な論議が沸き上がっていてもよかったのでは。いつもより物足りなかった。映画は最後にウォーター・ゲイト事件の始まりを描写して終わる。ワシントン・ポスト紙の若き記者たち、カール・バーンスタインやボブ・ウッドワードはここには登場しない。監督 スティーヴン・スピルバーグ
| Movie | 22:39 | comments(0) | trackbacks(0) | ↑PAGE TOP
映画「15時17分、パリ行き」

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 『映画の主演者たちは実際の事件の当事者であった。』なんていうことがで今まであったろうか? その意味で監督クリント・イーストウッドは凄いことをしでかしたといえる。今後映画に出演している仮想の(ヴァーチャルな)犯罪者が、実際の罪人になることだってあり得るかもしれない。劇上劇は劇になりえるだろうか?
 アレックス・スカラトス、スペンサー・ストーン、アンソニー・サドラーの三人は幼い頃からの友達だった。しかも彼らは絶えず校長室に呼ばれる落ちこぼれに近い生徒であった。でも彼らなりにそれぞれ非行にはその理由があったのだった。必ずしも満足した成長を過ごしたとは言えないが、青年になった三人が仲良く一緒にヨーロッパに旅行する。そして、アムステルダム15時17分発パリ行きのタリス高速鉄道にテロ犯罪者と乗り合わせる。
 私は恥ずかしいことにこの事件を全く知らなかったが、ゴク普通の三人のアメリカ青年たちが見事な協力で大惨事になるところを未然に防いだことは、確かにレジオン・ドヌール賞に値すると称賛しないではいられない。犯人は自動小銃AK47などの武器を携帯し、300発もの弾丸を用意していた。ヨーロッパ高速鉄道タリスの車両内部が血の海となる惨事だって予想された。
 2011年のノルウェー・ウトヤ島でのテロ(77人死亡、約100人負傷)以来、2015年のロスアンゼルス(14人死)パリ同時多発テロ(130人死亡、300人以上の負傷者)2016年のフロリダ(49人死)2017年はラスベガス・マンダリンベイホテル前で(58人死、525人負傷)2017年トルコ(39人死亡)など近年立て続けにテロ事件は発生している。狂気の連鎖は止みそうにない。狂っているのは特定の宗教信者たちだけではない。
| Movie | 22:32 | comments(0) | trackbacks(0) | ↑PAGE TOP
映画「スリー・ビルボード」

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 さほど話題にはなっていないが、この映画アカデミ―賞候補として賛否両論が渦巻いているそうだ。私は断然賛成票を投じる。この混沌とした世相の中で自分の意志を貫くという骨太なテーマが生きている。
 7カ月前、ミズーリ州地元の田舎町で娘がレープされた上、焼き殺された事件が今だなにも進展を見せないことに怒ったその母親のミルドレッド(フランシス・マクドーマンド)は、大きな屋外広告3枚ににウイロビー署長(ウディ・ハレルソン)の怠慢を責める広告を張り出した。人種差別主義者のディクソン巡査(サム・ロックウェル)などを筆頭に、牧師や町の人びとから村八分のような取り扱いを受けながら、それに少し乱暴すぎるくらいの反発を見せる。さまざまな妨害工作を排除しながら自分の仲間を増やし、事件解決への方向を探るミルドレッドに熱い拍手を贈りたい。映画の終わり方も余韻を残して好かった。監督 マーティン・マクドナー
 思えば日米開戦のとき、米議会でただ一人開戦決議に反対したジャネット・ランキンという女性がいましたね。この決議が真珠湾の悲劇直後だったことを想うと、彼女は驚くほど思慮深く且つ豪胆な女性だったと思わないではいられません。
 
 
| Movie | 22:15 | comments(0) | trackbacks(0) | ↑PAGE TOP
映画「ルージュの手紙」

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 この8月、ジャンヌ・モローが89歳で亡くなった。「死刑台のエレベーター」はじめたくさんの映画に出演した、嗄れ声の渋い演技はもう見れなくなってしまった。この映画「ルージュの手紙」の主役の一人、カトリーヌ・ドヌーヴとも長い付合いだが、感覚的には「あっ」という間に時間が過ぎ去った感じがする。彼女は私とほゞ同世代、1964年の「シェルブールの雨傘」以来「昼顔」「インドシナ」そして「ダンサー・イン・ザ・ダーク」なんて映画も見た。この自分と同じように嫌でも応でも、老境に追い込まれてジタバタしている姿を垣間見せるのだろうか。否、本当はすっきり、あっさりとこの世とお別れしたいのだが、本人の頭脳、肉体に刻まれた過去のしがらみが、悲鳴を上げて抵抗しているのかもしれない。
 クレール(カトリーヌ・フロ)はパリ郊外の病院で働く優秀な助産師。経営不振の病院は人手不足でつい過重労働になりがち。助産師はいつもきりきりとしっかり働かなければならない。しかも出産は希望と喜びが、時には絶望も、交わる尊厳の現場でもある。そんなところに、30年前姿を消した父親の元恋人ベアトリス(カトリーヌ・ドヌーヴ)が身一つで転がり込んでくる。彼女が原因でクレールの母親は父と離婚したのに。しかもベアトリスが父親と分かれた後、父親がすぐ自殺してしまったことすらベアトリスは知らなかった。ベアトリスは重い脳梗塞を患っていたのだった。実際は血のつながらない者同士が織りなす一風変わった物語だが、不思議な安らぎをそこに織り込んでゆく。いままできりきりとして心にゆとりがなかったクレールの生活に、同じ貸農園で知り合った男に気を許すまでになったのは、このベアトリスの影響だろう。
 カトリーヌ・フロは「大統領の料理人」より少し威厳をなくし、大学生の息子がいる中年女性の等身大の姿を見せている。(そういえば、息子の写真映像がかってのベアトリスの恋人、クレールの父親にそっくりなのに・・当然のことだが・・改めて見惚れてしまうシーンは印象深かった。)カトリーヌ・ドヌーヴはかっての放埓な生活を偲ばせる締まりのない体つき、派手好きで恋多き女の面影を存分に振りまいていた。残念と言えば残念、「ルージュの手紙」の謎は語るまい。この映画には「インドシナ」の余韻はない。
 監督 マルタン・プロヴォ
 
| Movie | 21:54 | comments(0) | trackbacks(0) | ↑PAGE TOP
映画「ユダヤ人を救った動物園」

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 戦時下の動物園が大変な事態に遭遇する話はいままで聞いたことがあるが、動物園が "human zoo"として活躍する話は初めて。第二次世界大戦下のワルシャワ動物園で、園長のヤン・ジャビンスキ(ヨハン・ヘルデンベルグ)と妻のアントニーナ(ジェシカ・チャステン)が悪戦苦闘する物語。ナチス・ドイツと共産ソ連に挟まれたポーランドは1939年9月忽ちに国土を二分して占領されてしまったが、ワルシャワの動物園はその価値をドイツに認められず、ヒトラー直属の動物学者ヘック(ダニエル・ブリュール)は貴重な動物たちの延命を認めず、次々それらを殺してしまう。動物園の機能としては養豚場としか残されなかった。
 一方、ポーランドのユダヤ人たちはゲットーに押し込められ、やがてはアウシュヴィッツなどの強制収容所に送られる運命が待っていた。アントニーナたちが目論んだのは、密かにゲットーのユダヤ人を運んできて動物園に匿い、秘密のルートを使って彼らを逃がすことだった。その数凡そ300名を超えたそうだ。愛する動物たちを目の前で殺された怒りは、今度は冷静に人間たちの救済に向かう。その意志は本当にすばらしい。
 映画はアントニーナとヘックとの偽装(?)恋愛に多少時間を採られ、第二次世界大戦末期のポーランドの悲劇と惨状(ワルシャワ蜂起の失敗など)の描写を簡単に済ませてしまった恨みがある。しかし生き残った者たち、動物や息子や家族、友人に再会してアントニーナがうれし泣きする場面は共感を呼ぶだろう。監督ニキ・カーロ 主演のジェシカ・チャステンがこの映画の総指揮を揮った。
| Movie | 21:36 | comments(0) | trackbacks(0) | ↑PAGE TOP
め組の喧嘩

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 この一月ばかり大相撲の暴行事件について、カラスの鳴かぬ日はあっても、テレビや新聞が報道しない日はない有様がずっと続いている。横綱日馬富士が引退を早々に宣言しても、刑事事件として訴えた貴乃花親方は、収束を意図していないので相撲協会が割れる可能性もなきにしもあらず。
 江戸時代後期文化文政の頃、芝神明の境内で興行中の相撲取と町火消の若者が大喧嘩をしたのを題材にしたこの芝居は、相撲と鳶では身分が違うとした九龍山や四ツ車を悪役に仕立て、「火事と喧嘩は江戸の華」め組の棟梁辰五郎を美化する筋立てになっている。仲裁に入った喜三郎が寺社奉行と町奉行の二枚の法被を着てこの大喧嘩を止める。(相撲は寺社奉行の管轄、一方火消しは町奉行が統括していた。)平成中村座での幕切れはこの後、本物の神輿が大勢の市民に担がれて舞台に登場、無事ハッピーエンドとなる。今は亡き勘三郎の面目躍如というところか。
 当時は「臥煙」と呼ばれてタチの悪い町火消も大勢いたらしい。一方九龍山や四ツ車は横綱大関でもないのに貫禄があって、悪役ながらなかなか好感が持てた。大きくて優しくなにか頼りがいがありそうな感じがした。そうなのだ。彼らは天からその体、力、意思の強さ授かっている存在なのかもしれない。それは一般市民の願望でもある。
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映画「笑う故郷」

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 今年のノーベル文学賞には日系英国人のカズオ・イシグロが選ばれた。私は彼の作品をまだ読んだことがない。この映画はまるでドキュメンタリー映画のように、アルゼンチンの小説家がスウェーデンでノーベル賞を受領する場面から始まる。南米の作家バルガス=リョサやガルシア=マルケスように、このダニエル・マントバーニ(オスカル・マルティネス)という作家が実際にいたかのような錯覚に囚われた。しかも彼は受賞スピーチにおいて、「この受賞は、喜びよりも作家としての衰退の印」と厳しく決めつけて一瞬会場を凍り付かせた。いかにもイシグロが語りそうな気がする。ノーベル賞は作家を自殺に追いやったり、無理やり牢に押し込めたりもしている。
 受賞以来5年が過ぎ、作家らしい仕事をしていない彼のもとに、故郷アルゼンチンの片田舎から名誉市民受賞の知らせが届いた。20歳のときから約40年間一度も帰っていないダニエルにとって、故郷への招待は相当に甘酸っぱいものがあったであろう。彼が描くところの小説など何も説明がないが、悪くにしろ善にしろ相当にこの故郷を取り上げた世界が展開していたであろうと推測する。そんな世界にまた戻るなんて・・・彼が実際に帰郷していろいろ遭遇した出来事は、ドタバタに近い喜劇であり、また次々と痛烈に襲ってくる悲劇の連続だった。正しく『故郷は遠くにありて想うもの・・』と実感させるに十分だったが、これも地球の裏側の出来事だと軽視できない、こちら側でも現実の姿だと身近に感じさせるドラマだった。あの大鹿村の人びとは元気だろうか。監督 ガストン・ドゥプラットとマリアノ・コーン
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映画「セザンヌと過ごした時間」

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 原題は「セザンヌと私」だが、日本での公開は「セザンヌとゾラ」にすべきではなかったのかと思った。19世紀後半フランスの画家と文学者、二人は十代初めからの親友付合いで、その交遊は40年以上に及ぶ。その長い付合いの途中に生起した物語を、仲が良かった時代から晩年に至っては一旦は破局に至った経緯を、緩やかに回想しながら、映画は『ベル・エポック』をしみじみと感じさせる。
 ポール・セザンヌ(1839〜1906)(ギョーム・ガリエンヌ)は裕福な商人の子供、一方エミール・ゾラ(1840〜1902)(ギョーム・カネ)は貧乏なイタリア移民の子、セザンヌが13歳の時ほぼ同年のゾラに親しく接したことから、ゾラがリンゴを贈って仲良くなった話はかなり有名なことらしい。映画が始まってしばらくの間、私の呆けた頭では成人した二人の、どちらがセザンヌでどちらがゾラなのか、なかなかわからなかった。最晩年まで有名になることはなかったセザンヌは、親から勧められた結婚話を断ったために仕送りを止められた時期があり、すでに若くして自然主義の作家として世の認められたゾラによって生活費の援助を受けていたことがあった。一方ゾラの奥さんはかってセザンヌのモデルであり、恋仲でもあった。ゾラはセザンヌをモデルとした小説『制作』を発表して二人は絶交状態になる。
 時代は普仏戦争に敗れた後の第三共和政の世の中。1870年代に『居酒屋』や『ナナ』を発表してフローベルやモーパッサンらとともに自然主義文学の旗手となったゾラと、なかなか世に受け入れられなかった『印象派』の画家たち、(セザンヌ自身は印象派の画家と見られることを嫌っていたようだが)、具体的な芸術論争は見られなかったようだ。エドアルド・マネの『草上の昼食』や『オランピア』のヌードはスキャンダルとなったが・・・・
 セザンヌは私の好きな画家の一人である。具体的な芸術論争は見てとれなかったが(印象派の画家ゴーギャンは激しい文明論を展開した。)その激しい性格には驚かされた。サント・ヴィクトワール山を描いた風景画や果物を描いた静物画など内に秘めた情熱は如何ばかりだったろう。ゾラが後年ドレフュース事件で展開したような厳しい態度もこの映画ではまだ内に秘めたままである。監督 ダニエル・トンプソン
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