After the Pleistocene

A memory of my ramble
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映画「ヒトラーへの285枚の葉書」

JUGEMテーマ:映画


 『たかが反戦ビラぐらいで』などと思ったらいけない、書いた人物はもちろん、それを拾って届けなかった者も重罪に処せられるのが独裁国家の怖いところで、太平洋戦争中のわが国では幸か不幸か、誰もそんな無鉄砲な行為に走るものがいなかった。反逆罪の汚名が重くのしかかる社会。『贅沢は「素」敵だ』といって、吉原で豪遊するのが最大の反戦運動であったかもしれない。現在の中国ではネット社会の監視役として約30万人の人間が働いているという噂。
 最初華々しい戦果を挙げたナチス・ドイツの進撃も、息子を戦場で亡くしたオットー(ブレンダン・グリーソン)とアンナ(エマ・トンプソン)のクヴァンゲル夫妻にとっては正に苦々しいものだった。『ヒトラーは私の息子を殺した。あなたの息子も殺されるだろう』『ヒトラーは間違っている』と、宛先のない葉書に次々手書きしては、夫妻は人に知られぬようそうっとベルリンの町のあちこちに置いて回った。その数、285通。回収しえなかった葉書が何枚あるか、ナチスは恐慌をきたしていた。必死になって警察やゲシュタポは犯人を捜しまわり、誤認逮捕までする始末。エッシャリヒ警部(ダニエル・ブリュール)はついにオットーを突きとめるが、オットーはこれを予期していたが如く、声高に自己主張することなく静かにギロチンの刑についた。この事件の虚しさにようやく目覚め始めた警部が空しくこの処刑を見守ったあと、手元にあったこれらオットーの葉書を役所の窓から外にばらまいたのは、映画のストーリーとしてはいささか蛇足に見えた。まるで反戦運動がその後のドイツで拡散するが如くであったが、『白バラ』の抵抗運動以外、ナチスドイツに市民運動は起きなかった。監督 バンサン・ペレーズ
| Movie | 21:42 | comments(0) | trackbacks(0) | ↑PAGE TOP
映画「パイレーツ・オブ・カリビアン/最後の海賊」
 ご存知、ジョニー・デップ扮する海賊船の船長ジャック・スパロウが活躍するブロックバスター映画も、これが5作目。まだまだ続くようだ。"undead"とは、私の持っている辞書ランダムハウス英和辞典には載っていないが、Weblioによれば、『かって生命体であったものが、すでに生命が失われているにもかかわらず活動する、超自然的な存在の総称』。ぶった切り撃ち殺したはずなのにまた生き返って立ち向かってくる、言ってみれば幽霊やゾンビたちのことだが、確かジャック・スパロウもその一味のはずが、この映画ではほぼ生身の海賊として暴れまわる。彼の飄々とした生き方とともに、観客はそのあたり融通無碍な映画を楽しんでいる。「今度はお前が死ぬ番だ。」とか、「俺がタダで死ぬと思うか?」のジャックのセリフはそれなりに意味がある。
 かって『聖杯』の水がこれら亡者どもを蘇らせたように、今回は『ポセイドンの槍』がその効力を発揮させるとの伝説に、「海の死神」サラザール(バビュエル・バルデム)や「カスピ海の王」バルボッサ(ジェフリー・ラッシュ)が、カリブ海の海底から蘇りジャック・スパロウに挑んでくる。また『生者』に戻って活躍したいと彼らは必死に望みを繋いでいるのだ。ジャック・スパロウを追い詰めるサラザールが「わしら(亡霊)は陸に上がれない」なんて弱音を吐くところがまたおもしろい。軟体動物系の面相をしたディヴィ・ジョーンズが、ここに一枚加わっていなかったのが残念でした。
 瀬戸内地方の塩飽諸島などを根拠としたかっての日本の海賊たちは、大阪石山本願寺をめぐる攻防で豊臣秀吉の水軍に敗れて以降、急速に勢力を失ったようだ。民俗学者沖浦和光の『瀬戸内の民俗誌』によれば、『漁業権を持たぬ家船漁民は、村々の地先海面での漁業が許されなかったので沖合で漁をするほかなかった。しかし、各地の海村が占有する地先海面もしだいに沖にせり出していったので、魚がたくさんいて自由に漁ができる場所はしだいに狭められていった。』これら海賊の後裔たちの家船の漁民たちは、明治維新後政府の定住化政策もあって姿を消していった。なにしろ戸籍がなくて、子供が学校に行けず文字が読めないなど差別されていた悲しい歴史がある。
 カリブの海賊が活躍したのは17世紀半ばから18世紀半ばごろまでのようだ。1643年イスパニアに衰退の兆しが見えてから、1762年に英国がドミニカやハバナを占領するまで約100年ぐらいの期間か。やがて次第に海賊の活躍する場所は制限された。ソマリア沖の海賊はまた別の話。だからこの映画の中でギロチンが現れたのには驚いた。なぜならギロチンはフランス大革命(1789)勃発後の発明品だから。時空を超越した話なら、カリブの島に建てられた銀行の立派な金庫が、建物ごとジャック・スパロウたちに引っこ抜かれる話は、現在のケイマン諸島のタックスヘブンを揶揄したものとみたがどうか。
| Movie | 15:30 | comments(0) | trackbacks(0) | ↑PAGE TOP
映画「メッセージ」
 われわれ地球人より何層倍も知力の優れた宇宙生物に出くわしたとき、われわれはどうすればよいのか? かって映画「未知との遭遇」でも掲げられた課題。なにしろ光速の数百倍もの速さで移動する宇宙船に乗って現れ、何ら危険な兆候も見せず、かといって友好的な態度も見せない相手に、取り敢えずわれわれは手探りで対応する。この宇宙生物、<ヘプタポッド(『七本足』とでもいうべきか)と名付けられたタコのお化け>に対面するのは言語学者ルイーズ・バンクス(エイミー・アダムス)。彼女は彼ら独自の言語を解読するばかりではなく(シャンポリオンがロゼッタ・ストーンでヒエログリフの解読をしたように、ここがこの映画の一番の見所だった)、自分の未来予知能力にも目覚めてくる。彼らは三千年後に恐ろしい未来が地球に到来すると彼女に告げる。
 ともかくこんなに優れた能力を持った生物なら、地球上の言語や歴史、人間の性質までとっくにお見通しだと私は思うが、特にわれわれを『ガツ〜ん』とさせることもなく、彼らは至って平和に地球を離れてゆく。最初は原水爆の飛び交う戦争も想像したが、そんな事態も生起せず、気候変動など凄まじい自然破壊にも遭わず、今までと同じ生活が今後も続くが如きエンディングなのには少し拍子抜けした。これは続編を乞うご期待ということなのか。
 監督ドゥニ・ビルヌーブ
 
| Movie | 22:11 | comments(0) | trackbacks(0) | ↑PAGE TOP
映画「ノー・エスケイプ 自由への国境」
 映画は突然始まって、突然終わるような「不条理劇」の様相を呈す。原題はスペイン語で”DESIERTO 砂漠”である。もっともアメリカとメキシコの国境をこれから不法に越えようとする16人の、メキシコ人一人一人について、その前歴を語っていたなら、それだけで映画は終わってしまう。主人公モイセス(ガエル・ガルシア・ベルナル)はアメリカにいる家族に会うためとしか語られていない。
 見た感じからすると「砂漠」というより「荒野」の、簡単な有刺鉄線の国境を越えた不法侵入者たちは、突然不意に猛犬を連れたサム(ジェフリー・ディーン・モーガン)という「殺し屋」に追い立てられる。単に『法を犯している』という理由だけで、なぜ彼らは殺されなければいけないのか、あまり明快な説明はない。獲物を追うハンターの心理だけ。越境者たちは次々とサムのライフルの餌食となってゆく。最後一人になっても必死になって逃げるモイセスを、サムは執拗に追いかける、どこまでもどこまでも。
 この作品、アルフォンソ・キュアロン監督の前作「ゼロ・グラビティ」と比較すると、人間の悪意が底に絡んでいるだけに苛立たしい心理劇ともなっている。ウィキペディアによれば、アメリカ合衆国には毎年約百万人の不法入国者が存在し、そのうちの約8割がメキシコ人だと言われる。彼らはアメリカの農業を支えているとも言える。また石川好の『ストロベリー・ボーイ』などで読むとおり、アメリカの農業労働者の約45%がこれら不法移民だという。基本的にこのような構造自体を変えずに、侵入移民だけを厳しく取り締まろうとするのは、酷く片手落ちだと思うが、この映画はそこまでは語っていない。むしろ人々の心の中に広がる『砂漠』かもしれない。
 
| Movie | 11:28 | comments(0) | trackbacks(0) | ↑PAGE TOP
新海誠 動画「君の名は。」
 かなり遅れたが評判の長編アニメを見に行った。自分としては時空を超えて人々が煩悶したり躍動する物語は、『聊斎志異』以来嫌いではないはずなのに、この作品はよくわからなかったし、面白くもなかった。「ラ・ラ・ランド」や、批評は書いてないが「ムーンライト」なども少しも面白くなかった。この頃自分の頭が老化現象を起こしていて感度が鈍り、皆が面白いという作品をことごとく貶しているとしたら、これは私にとって大問題である。
 地球に接近はするものの、まさか衝突するとは予想していなかった彗星が、急に分裂してその破片が飛騨の山奥に落下して鄙びた町を全滅させる。この時点で時空は飛び離れて、瀧という男子高校生と三葉という女学生が入れ替わる、という話ではなく、その以前に二人の異次元交流があったようだ。しかもどうも二人にとって同時間ではなく、3年間ぐらい時間もずれているような話になっている。それぞれの人体の置換については説明があっても、それぞれの時間差についてはこの映画の観客が推量するしかない。でもその時間差があるからこそ、この天災を最小限に留めようと二人が奮闘する意味が分かるのだけれど・・・
 北朝鮮が核実験やミサイル発射を止めないでいるなら、いつ何時不測の事態が生じるかもわからない状態になってきた。SF作家小松左京の『影が重なる時』では、北方より飛来してくる原子爆弾に、呪文を掛けられた如くまるで誰もが身動きができない時間と空間を嵌められる瞬間を描いている。北朝鮮に対し急ピッチに進む武力制圧方針は何が起きるか非常に不安である。それ以外の解決策が是非とも望ましい。
| Movie | 22:40 | comments(0) | trackbacks(0) | ↑PAGE TOP
映画「ラ・ラ・ランド」
 この作品は今年のアカデミー賞をいろいろ得ているが、私の基準から見るとそれほど優れた作品とは思えないのだが・・・不出来という評価ではないが、この程度のストーリー、役者、ダンス、歌、衣装、舞台装置などなどで、ミュージカルのベストとは言い難い。
 ハリウッドやブロードウェーの下積みからトップにのし上がる物語は、「コーラスライン」があるし、よくあるストーリー展開。歌やダンスでは「ウエストサイド物語」や「キャバレー」には敵わないし、時代背景が解からず、出演者の衣装がとても陳腐なのには驚いた。ジャズがロックに押されていると主人公のピアニスト、セバスチャン(ライアン・ゴズリング)は弱々しく言うが、映画「セッション」(監督は同じデミアン・チャゼル)並みの熱い演奏が聴けたわけではない。勿論ジャズへの鎮魂歌でもない。セバスチャンがいつもくたびれているように見える(若さがない)のはこちらの思い過ごしか?
 女主人公ミア(エマ・ストーン)が最後のオーデションで自分の思いを歌い始める場面が印象に残った。最後の章と思われる場面、観客の予想とガラリと変わった主人公二人の人生展開がおもしろかったが、残念ながら強く余韻を残すほどのものではなかった。思い出すわが青春のミュージカル映画では、「回転木馬」や「南太平洋」は夢を歌い上げてくれたし、「ムーラン・ルージュ」「マイ・フェア・レディ」や「オペラ座の怪人」は実に楽しかった。どこかで再上映してないかなあ。
 
| Movie | 22:43 | comments(0) | trackbacks(0) | ↑PAGE TOP
映画「王様のためのホログラム」
 われわれの視線の先は、もうこのような一種の『カルチャーショック』を楽しむ余裕がなくなってきているような気がする。日本も含め欧米先進国の社会は、激烈な企業競争があり、離婚や倒産の存在する競争社会を個人は生き抜かねばならない一方、後進諸国はほんの一部の上層階級を除いて、毎日の生活に汲々としている。こんな後進国の土地に3Dホログラムを導入してなんの効果が期待できるのか?映画ではこの疑問には誰も答えようとしない。
 荒唐無稽、奇想天外なプロジェクト「砂漠でサーモンフィッシング」と比較しても遜色ないプロジェクトだと思うが、意外にこちらのホログラムの方がすぐに実現可能だと思わせる。ドバイやカタールの表面的な華美さに目を奪われているせいか。だが結局期待したほど商品は売れず、終いは砂漠の瓦礫になってしまう悲観的な予想に私は陥る。映画はハッピーエンドで閉じたが、オイルで儲けた金は結局自国では消費できず、欧米諸国に再投資される状態がまだ50年ぐらいは続きそうだ。
 トム・ハンクス主演、サリタ・チョウドリー(女医)、監督トム・ティクヴァ
| Movie | 22:20 | comments(0) | trackbacks(0) | ↑PAGE TOP
映画「沈黙」
 「神はなぜこのように苦しんでいる我々の前に現れて、なにか明示してくれないのか?」神の実在を信じ、神による救いを信じている者たちの前に、なぜ神は沈黙したままでいるのか、と厳しく問う遠藤周作の小説がマーティン・スコセッシ監督の手でハリウッドで映画化された。
 キリシタン禁制の徳川時代、先に日本へ布教に赴いた信仰篤きフェレイラがどうして棄教することになったのかも確かめたく、また二人の宣教師が新たに日本に派遣されてきた。一方幕府の政策は単に宣教師や信者たちを根絶やしにするのではなく、彼らの棄教を図ることに重きが置かれていた。拷問や踏み絵で激しく彼らを揺さぶり、「転ばす」ことを主眼とした。一層のこと殺してしまった方が手早いはずなのに。いや、そうではないのだ。その信仰そのものを否定しなければ、次から次にまたその追従者が現れてくることを為政者は知っていた。その数は限りなく自分たちの天下が覆される可能性を秘めていた。かって仏教徒も迫害され、いままたキリシタンも追い詰められていたが・・・
 宣教者自身への拷問には耐えられても、信者たちへの迫害の凄さに怯えて堪えられない事態に。フェレイラも耐えられなかった。でも考えてみると、宣教師たちは信者たちの苦しみを和らげるために棄教する必要はなかったかもしれない。迫害されたかっての仏教徒も、今またこれらのキリシタンも、この世は有限で、永遠の平安が続くパライソ(浄土であり、天国でもある世界)が死後にあることを信じていたのだから。彼らにとって神の沈黙はあの世の平安を予知させるものであったと私は思う。
| Movie | 23:17 | comments(0) | trackbacks(0) | ↑PAGE TOP
映画「マダム・フローレンス!夢見るふたり」
 本来ならかなり嫌味な映画になるところ、軽く甘酸っぱい喜劇に仕上げたところが興味深い。金持ちでニューヨーク社交界の花形、マダム・フローレンス・ジェンキンス(メリル・ストリープ)は音痴にもかかわらず、パーティを開いて歌う。舞台衣装にもいつも贅を尽くしている。そしてとうとうあの伝統あるカーネーギー・ホールの舞台に立うとする。しかも難解なモーツァルトの「夜の女王のアリア」(コロラトゥーラ・ソプラノ)などを歌うとは。自分の身体は、かって重い病気にかかったことがあるのも世間には隠していた。
 自分は歌が下手であると多少は自覚しているところもあるが、マダム・フローレンスは他人の批判はものともしない。大多数の人たちを楽しませているとむしろ開き直っているところもある。しかしその陰で彼女の「夫」シンクレア・ベィフィールド(ヒュー・グラント)が大勢の観客をタダで招待し、音楽批評家まで買収して、彼女を擁護する工作をいつもしている。しかもフローレンスを批判している新聞などは、彼女の眼に触れないように特別配慮する(ふざけているのではないかと思われるほど本来非常に涙ぐましい努力)。シンクレアのこのなんとも軽妙な行動がフローレンスを支えていると言ってもよい。(ヒュー・グラントがなかなかうまい演技だ。)またピアノ伴奏者のコズメ(サイモン・ヘルバーグ)も調子を合わせて大舞台に臨むのだった。
 これはまだ第二次世界大戦中の1944年10月の実話だという。日本ならそんな歌舞音曲を禁止していた時代だったのに。メリル・ストリープは「マンマ・ミーア」などミュージカルも演じたように歌も下手ではないと思うのに、見事に調子を外してハラハラさせる。年末の忙しさを忘れさせる楽しい喜劇でした。
監督 スティーブン・フリアーズ 
| Movie | 21:44 | comments(0) | trackbacks(0) | ↑PAGE TOP
映画「聖の青春」
 1998年29歳の若さで亡くなった天才棋士村山聖(さとし)の人生をなぞる。将棋も囲碁も詳しくない筆者としては、どんなに激しい闘いが若き天才七冠羽生善治との間で繰り広げられたか残念ながらわからない。本来なら棋譜の一つでもじっくりと検討するところ、ネフローゼ症候群により幼少より病弱で、最後は膀胱がんに苦悶する闘病生活を追う形になるのは、きっとご本人も気に食わないだろう。『負けるのは死ぬほど悔しい』と羽生に言わしめ、同じ思いを心に抱いていた村山との対局は、これからというところで永久に中断されてしまった。囲碁の世界で本因坊秀哉を描いた川端康成の『名人』との比較を改めて論じてみたい。
 配役 村山聖(松山ケンイチ)、羽生善治(東出昌大)師匠森信雄(リリー・フランキー)母(竹下景子)
 原作 大崎善生  監督 森義隆
| Movie | 22:59 | comments(0) | trackbacks(0) | ↑PAGE TOP