After the Pleistocene

A memory of my ramble
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映画「スリー・ビルボード」

JUGEMテーマ:映画


 さほど話題にはなっていないが、この映画アカデミ―賞候補として賛否両論が渦巻いているそうだ。私は断然賛成票を投じる。この混沌とした世相の中で自分の意志を貫くという骨太なテーマが生きている。
 7カ月前、ミズーリ州地元の田舎町で娘がレープされた上、焼き殺された事件が今だなにも進展を見せないことに怒ったその母親のミルドレッド(フランシス・マクドーマンド)は、大きな屋外広告3枚ににウイロビー署長(ウディ・ハレルソン)の怠慢を責める広告を張り出した。人種差別主義者のディクソン巡査(サム・ロックウェル)などを筆頭に、牧師や町の人びとから村八分のような取り扱いを受けながら、それに少し乱暴すぎるくらいの反発を見せる。さまざまな妨害工作を排除しながら自分の仲間を増やし、事件解決への方向を探るミルドレッドに熱い拍手を贈りたい。映画の終わり方も余韻を残して好かった。監督 マーティン・マクドナー
 思えば日米開戦のとき、米議会でただ一人開戦決議に反対したジャネット・ランキンという女性がいましたね。この決議が真珠湾の悲劇直後だったことを想うと、彼女は驚くほど思慮深く且つ豪胆な女性だったと思わないではいられません。
 
 
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映画「ルージュの手紙」

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 この8月、ジャンヌ・モローが89歳で亡くなった。「死刑台のエレベーター」はじめたくさんの映画に出演した、嗄れ声の渋い演技はもう見れなくなってしまった。この映画「ルージュの手紙」の主役の一人、カトリーヌ・ドヌーヴとも長い付合いだが、感覚的には「あっ」という間に時間が過ぎ去った感じがする。彼女は私とほゞ同世代、1964年の「シェルブールの雨傘」以来「昼顔」「インドシナ」そして「ダンサー・イン・ザ・ダーク」なんて映画も見た。この自分と同じように嫌でも応でも、老境に追い込まれてジタバタしている姿を垣間見せるのだろうか。否、本当はすっきり、あっさりとこの世とお別れしたいのだが、本人の頭脳、肉体に刻まれた過去のしがらみが、悲鳴を上げて抵抗しているのかもしれない。
 クレール(カトリーヌ・フロ)はパリ郊外の病院で働く優秀な助産師。経営不振の病院は人手不足でつい過重労働になりがち。助産師はいつもきりきりとしっかり働かなければならない。しかも出産は希望と喜びが、時には絶望も、交わる尊厳の現場でもある。そんなところに、30年前姿を消した父親の元恋人ベアトリス(カトリーヌ・ドヌーヴ)が身一つで転がり込んでくる。彼女が原因でクレールの母親は父と離婚したのに。しかもベアトリスが父親と分かれた後、父親がすぐ自殺してしまったことすらベアトリスは知らなかった。ベアトリスは重い脳梗塞を患っていたのだった。実際は血のつながらない者同士が織りなす一風変わった物語だが、不思議な安らぎをそこに織り込んでゆく。いままできりきりとして心にゆとりがなかったクレールの生活に、同じ貸農園で知り合った男に気を許すまでになったのは、このベアトリスの影響だろう。
 カトリーヌ・フロは「大統領の料理人」より少し威厳をなくし、大学生の息子がいる中年女性の等身大の姿を見せている。(そういえば、息子の写真映像がかってのベアトリスの恋人、クレールの父親にそっくりなのに・・当然のことだが・・改めて見惚れてしまうシーンは印象深かった。)カトリーヌ・ドヌーヴはかっての放埓な生活を偲ばせる締まりのない体つき、派手好きで恋多き女の面影を存分に振りまいていた。残念と言えば残念、「ルージュの手紙」の謎は語るまい。この映画には「インドシナ」の余韻はない。
 監督 マルタン・プロヴォ
 
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映画「ユダヤ人を救った動物園」

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 戦時下の動物園が大変な事態に遭遇する話はいままで聞いたことがあるが、動物園が "human zoo"として活躍する話は初めて。第二次世界大戦下のワルシャワ動物園で、園長のヤン・ジャビンスキ(ヨハン・ヘルデンベルグ)と妻のアントニーナ(ジェシカ・チャステン)が悪戦苦闘する物語。ナチス・ドイツと共産ソ連に挟まれたポーランドは1939年9月忽ちに国土を二分して占領されてしまったが、ワルシャワの動物園はその価値をドイツに認められず、ヒトラー直属の動物学者ヘック(ダニエル・ブリュール)は貴重な動物たちの延命を認めず、次々それらを殺してしまう。動物園の機能としては養豚場としか残されなかった。
 一方、ポーランドのユダヤ人たちはゲットーに押し込められ、やがてはアウシュヴィッツなどの強制収容所に送られる運命が待っていた。アントニーナたちが目論んだのは、密かにゲットーのユダヤ人を運んできて動物園に匿い、秘密のルートを使って彼らを逃がすことだった。その数凡そ300名を超えたそうだ。愛する動物たちを目の前で殺された怒りは、今度は冷静に人間たちの救済に向かう。その意志は本当にすばらしい。
 映画はアントニーナとヘックとの偽装(?)恋愛に多少時間を採られ、第二次世界大戦末期のポーランドの悲劇と惨状(ワルシャワ蜂起の失敗など)の描写を簡単に済ませてしまった恨みがある。しかし生き残った者たち、動物や息子や家族、友人に再会してアントニーナがうれし泣きする場面は共感を呼ぶだろう。監督ニキ・カーロ 主演のジェシカ・チャステンがこの映画の総指揮を揮った。
| Movie | 21:36 | comments(0) | trackbacks(0) | ↑PAGE TOP
め組の喧嘩

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 この一月ばかり大相撲の暴行事件について、カラスの鳴かぬ日はあっても、テレビや新聞が報道しない日はない有様がずっと続いている。横綱日馬富士が引退を早々に宣言しても、刑事事件として訴えた貴乃花親方は、収束を意図していないので相撲協会が割れる可能性もなきにしもあらず。
 江戸時代後期文化文政の頃、芝神明の境内で興行中の相撲取と町火消の若者が大喧嘩をしたのを題材にしたこの芝居は、相撲と鳶では身分が違うとした九龍山や四ツ車を悪役に仕立て、「火事と喧嘩は江戸の華」め組の棟梁辰五郎を美化する筋立てになっている。仲裁に入った喜三郎が寺社奉行と町奉行の二枚の法被を着てこの大喧嘩を止める。(相撲は寺社奉行の管轄、一方火消しは町奉行が統括していた。)平成中村座での幕切れはこの後、本物の神輿が大勢の市民に担がれて舞台に登場、無事ハッピーエンドとなる。今は亡き勘三郎の面目躍如というところか。
 当時は「臥煙」と呼ばれてタチの悪い町火消も大勢いたらしい。一方九龍山や四ツ車は横綱大関でもないのに貫禄があって、悪役ながらなかなか好感が持てた。大きくて優しくなにか頼りがいがありそうな感じがした。そうなのだ。彼らは天からその体、力、意思の強さ授かっている存在なのかもしれない。それは一般市民の願望でもある。
| Movie | 22:26 | comments(0) | trackbacks(0) | ↑PAGE TOP
映画「笑う故郷」

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 今年のノーベル文学賞には日系英国人のカズオ・イシグロが選ばれた。私は彼の作品をまだ読んだことがない。この映画はまるでドキュメンタリー映画のように、アルゼンチンの小説家がスウェーデンでノーベル賞を受領する場面から始まる。南米の作家バルガス=リョサやガルシア=マルケスように、このダニエル・マントバーニ(オスカル・マルティネス)という作家が実際にいたかのような錯覚に囚われた。しかも彼は受賞スピーチにおいて、「この受賞は、喜びよりも作家としての衰退の印」と厳しく決めつけて一瞬会場を凍り付かせた。いかにもイシグロが語りそうな気がする。ノーベル賞は作家を自殺に追いやったり、無理やり牢に押し込めたりもしている。
 受賞以来5年が過ぎ、作家らしい仕事をしていない彼のもとに、故郷アルゼンチンの片田舎から名誉市民受賞の知らせが届いた。20歳のときから約40年間一度も帰っていないダニエルにとって、故郷への招待は相当に甘酸っぱいものがあったであろう。彼が描くところの小説など何も説明がないが、悪くにしろ善にしろ相当にこの故郷を取り上げた世界が展開していたであろうと推測する。そんな世界にまた戻るなんて・・・彼が実際に帰郷していろいろ遭遇した出来事は、ドタバタに近い喜劇であり、また次々と痛烈に襲ってくる悲劇の連続だった。正しく『故郷は遠くにありて想うもの・・』と実感させるに十分だったが、これも地球の裏側の出来事だと軽視できない、こちら側でも現実の姿だと身近に感じさせるドラマだった。あの大鹿村の人びとは元気だろうか。監督 ガストン・ドゥプラットとマリアノ・コーン
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映画「セザンヌと過ごした時間」

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 原題は「セザンヌと私」だが、日本での公開は「セザンヌとゾラ」にすべきではなかったのかと思った。19世紀後半フランスの画家と文学者、二人は十代初めからの親友付合いで、その交遊は40年以上に及ぶ。その長い付合いの途中に生起した物語を、仲が良かった時代から晩年に至っては一旦は破局に至った経緯を、緩やかに回想しながら、映画は『ベル・エポック』をしみじみと感じさせる。
 ポール・セザンヌ(1839〜1906)(ギョーム・ガリエンヌ)は裕福な商人の子供、一方エミール・ゾラ(1840〜1902)(ギョーム・カネ)は貧乏なイタリア移民の子、セザンヌが13歳の時ほぼ同年のゾラに親しく接したことから、ゾラがリンゴを贈って仲良くなった話はかなり有名なことらしい。映画が始まってしばらくの間、私の呆けた頭では成人した二人の、どちらがセザンヌでどちらがゾラなのか、なかなかわからなかった。最晩年まで有名になることはなかったセザンヌは、親から勧められた結婚話を断ったために仕送りを止められた時期があり、すでに若くして自然主義の作家として世の認められたゾラによって生活費の援助を受けていたことがあった。一方ゾラの奥さんはかってセザンヌのモデルであり、恋仲でもあった。ゾラはセザンヌをモデルとした小説『制作』を発表して二人は絶交状態になる。
 時代は普仏戦争に敗れた後の第三共和政の世の中。1870年代に『居酒屋』や『ナナ』を発表してフローベルやモーパッサンらとともに自然主義文学の旗手となったゾラと、なかなか世に受け入れられなかった『印象派』の画家たち、(セザンヌ自身は印象派の画家と見られることを嫌っていたようだが)、具体的な芸術論争は見られなかったようだ。エドアルド・マネの『草上の昼食』や『オランピア』のヌードはスキャンダルとなったが・・・・
 セザンヌは私の好きな画家の一人である。具体的な芸術論争は見てとれなかったが(印象派の画家ゴーギャンは激しい文明論を展開した。)その激しい性格には驚かされた。サント・ヴィクトワール山を描いた風景画や果物を描いた静物画など内に秘めた情熱は如何ばかりだったろう。ゾラが後年ドレフュース事件で展開したような厳しい態度もこの映画ではまだ内に秘めたままである。監督 ダニエル・トンプソン
| Movie | 22:28 | comments(0) | trackbacks(0) | ↑PAGE TOP
映画「ヒトラーへの285枚の葉書」

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 『たかが反戦ビラぐらいで』などと思ったらいけない、書いた人物はもちろん、それを拾って届けなかった者も重罪に処せられるのが独裁国家の怖いところで、太平洋戦争中のわが国では幸か不幸か、誰もそんな無鉄砲な行為に走るものがいなかった。反逆罪の汚名が重くのしかかる社会。『贅沢は「素」敵だ』といって、吉原で豪遊するのが最大の反戦運動であったかもしれない。現在の中国ではネット社会の監視役として約30万人の人間が働いているという噂。
 最初華々しい戦果を挙げたナチス・ドイツの進撃も、息子を戦場で亡くしたオットー(ブレンダン・グリーソン)とアンナ(エマ・トンプソン)のクヴァンゲル夫妻にとっては正に苦々しいものだった。『ヒトラーは私の息子を殺した。あなたの息子も殺されるだろう』『ヒトラーは間違っている』と、宛先のない葉書に次々手書きしては、夫妻は人に知られぬようそうっとベルリンの町のあちこちに置いて回った。その数、285通。回収しえなかった葉書が何枚あるか、ナチスは恐慌をきたしていた。必死になって警察やゲシュタポは犯人を捜しまわり、誤認逮捕までする始末。エッシャリヒ警部(ダニエル・ブリュール)はついにオットーを突きとめるが、オットーはこれを予期していたが如く、声高に自己主張することなく静かにギロチンの刑についた。この事件の虚しさにようやく目覚め始めた警部が空しくこの処刑を見守ったあと、手元にあったこれらオットーの葉書を役所の窓から外にばらまいたのは、映画のストーリーとしてはいささか蛇足に見えた。まるで反戦運動がその後のドイツで拡散するが如くであったが、『白バラ』の抵抗運動以外、ナチスドイツに市民運動は起きなかった。監督 バンサン・ペレーズ
| Movie | 21:42 | comments(0) | trackbacks(0) | ↑PAGE TOP
映画「パイレーツ・オブ・カリビアン/最後の海賊」
 ご存知、ジョニー・デップ扮する海賊船の船長ジャック・スパロウが活躍するブロックバスター映画も、これが5作目。まだまだ続くようだ。"undead"とは、私の持っている辞書ランダムハウス英和辞典には載っていないが、Weblioによれば、『かって生命体であったものが、すでに生命が失われているにもかかわらず活動する、超自然的な存在の総称』。ぶった切り撃ち殺したはずなのにまた生き返って立ち向かってくる、言ってみれば幽霊やゾンビたちのことだが、確かジャック・スパロウもその一味のはずが、この映画ではほぼ生身の海賊として暴れまわる。彼の飄々とした生き方とともに、観客はそのあたり融通無碍な映画を楽しんでいる。「今度はお前が死ぬ番だ。」とか、「俺がタダで死ぬと思うか?」のジャックのセリフはそれなりに意味がある。
 かって『聖杯』の水がこれら亡者どもを蘇らせたように、今回は『ポセイドンの槍』がその効力を発揮させるとの伝説に、「海の死神」サラザール(バビュエル・バルデム)や「カスピ海の王」バルボッサ(ジェフリー・ラッシュ)が、カリブ海の海底から蘇りジャック・スパロウに挑んでくる。また『生者』に戻って活躍したいと彼らは必死に望みを繋いでいるのだ。ジャック・スパロウを追い詰めるサラザールが「わしら(亡霊)は陸に上がれない」なんて弱音を吐くところがまたおもしろい。軟体動物系の面相をしたディヴィ・ジョーンズが、ここに一枚加わっていなかったのが残念でした。
 瀬戸内地方の塩飽諸島などを根拠としたかっての日本の海賊たちは、大阪石山本願寺をめぐる攻防で豊臣秀吉の水軍に敗れて以降、急速に勢力を失ったようだ。民俗学者沖浦和光の『瀬戸内の民俗誌』によれば、『漁業権を持たぬ家船漁民は、村々の地先海面での漁業が許されなかったので沖合で漁をするほかなかった。しかし、各地の海村が占有する地先海面もしだいに沖にせり出していったので、魚がたくさんいて自由に漁ができる場所はしだいに狭められていった。』これら海賊の後裔たちの家船の漁民たちは、明治維新後政府の定住化政策もあって姿を消していった。なにしろ戸籍がなくて、子供が学校に行けず文字が読めないなど差別されていた悲しい歴史がある。
 カリブの海賊が活躍したのは17世紀半ばから18世紀半ばごろまでのようだ。1643年イスパニアに衰退の兆しが見えてから、1762年に英国がドミニカやハバナを占領するまで約100年ぐらいの期間か。やがて次第に海賊の活躍する場所は制限された。ソマリア沖の海賊はまた別の話。だからこの映画の中でギロチンが現れたのには驚いた。なぜならギロチンはフランス大革命(1789)勃発後の発明品だから。時空を超越した話なら、カリブの島に建てられた銀行の立派な金庫が、建物ごとジャック・スパロウたちに引っこ抜かれる話は、現在のケイマン諸島のタックスヘブンを揶揄したものとみたがどうか。
| Movie | 15:30 | comments(0) | trackbacks(0) | ↑PAGE TOP
映画「メッセージ」
 われわれ地球人より何層倍も知力の優れた宇宙生物に出くわしたとき、われわれはどうすればよいのか? かって映画「未知との遭遇」でも掲げられた課題。なにしろ光速の数百倍もの速さで移動する宇宙船に乗って現れ、何ら危険な兆候も見せず、かといって友好的な態度も見せない相手に、取り敢えずわれわれは手探りで対応する。この宇宙生物、<ヘプタポッド(『七本足』とでもいうべきか)と名付けられたタコのお化け>に対面するのは言語学者ルイーズ・バンクス(エイミー・アダムス)。彼女は彼ら独自の言語を解読するばかりではなく(シャンポリオンがロゼッタ・ストーンでヒエログリフの解読をしたように、ここがこの映画の一番の見所だった)、自分の未来予知能力にも目覚めてくる。彼らは三千年後に恐ろしい未来が地球に到来すると彼女に告げる。
 ともかくこんなに優れた能力を持った生物なら、地球上の言語や歴史、人間の性質までとっくにお見通しだと私は思うが、特にわれわれを『ガツ〜ん』とさせることもなく、彼らは至って平和に地球を離れてゆく。最初は原水爆の飛び交う戦争も想像したが、そんな事態も生起せず、気候変動など凄まじい自然破壊にも遭わず、今までと同じ生活が今後も続くが如きエンディングなのには少し拍子抜けした。これは続編を乞うご期待ということなのか。
 監督ドゥニ・ビルヌーブ
 
| Movie | 22:11 | comments(0) | trackbacks(0) | ↑PAGE TOP
映画「ノー・エスケイプ 自由への国境」
 映画は突然始まって、突然終わるような「不条理劇」の様相を呈す。原題はスペイン語で”DESIERTO 砂漠”である。もっともアメリカとメキシコの国境をこれから不法に越えようとする16人の、メキシコ人一人一人について、その前歴を語っていたなら、それだけで映画は終わってしまう。主人公モイセス(ガエル・ガルシア・ベルナル)はアメリカにいる家族に会うためとしか語られていない。
 見た感じからすると「砂漠」というより「荒野」の、簡単な有刺鉄線の国境を越えた不法侵入者たちは、突然不意に猛犬を連れたサム(ジェフリー・ディーン・モーガン)という「殺し屋」に追い立てられる。単に『法を犯している』という理由だけで、なぜ彼らは殺されなければいけないのか、あまり明快な説明はない。獲物を追うハンターの心理だけ。越境者たちは次々とサムのライフルの餌食となってゆく。最後一人になっても必死になって逃げるモイセスを、サムは執拗に追いかける、どこまでもどこまでも。
 この作品、アルフォンソ・キュアロン監督の前作「ゼロ・グラビティ」と比較すると、人間の悪意が底に絡んでいるだけに苛立たしい心理劇ともなっている。ウィキペディアによれば、アメリカ合衆国には毎年約百万人の不法入国者が存在し、そのうちの約8割がメキシコ人だと言われる。彼らはアメリカの農業を支えているとも言える。また石川好の『ストロベリー・ボーイ』などで読むとおり、アメリカの農業労働者の約45%がこれら不法移民だという。基本的にこのような構造自体を変えずに、侵入移民だけを厳しく取り締まろうとするのは、酷く片手落ちだと思うが、この映画はそこまでは語っていない。むしろ人々の心の中に広がる『砂漠』かもしれない。
 
| Movie | 11:28 | comments(0) | trackbacks(0) | ↑PAGE TOP