After the Pleistocene

A memory of my ramble
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船橋市合唱祭

JUGEMテーマ:趣味


 日曜日船橋市中央公民館で開かれた第65回合唱祭を聴きに行った。最近無性に音楽に浸ってみたいという思いが強い。今ごろ声を張り上げて日頃の鬱憤を晴らそうと言うわけではないが、音符も読めずにコーラスグループに今更加入できるだろうかと怪しむ気分も強い。この合唱祭、ともかくたくさんのグループが競って歌う中で、(なにしろ約40チームがエントリーしていた。)自分が混じれるものがあるかどうか?
 午前の部の途中から午後の部の途中まで聴いたが、どのグループもよく訓練が行き届いて歌が上手い。敢えて楽しそうに歌っているグループを挙げるなら、コーラスならしの、コロール・ヴォーチェ、ハッピープリズム、アダージョ、マンマ・ベルヴィーゾなどだったろうか。皆気心が合っていて、歌の心がこちらに暖かに伝わってくる気配がした。(聞き逃したグループはごめんなさい。)
 独りよがりのカラオケではつまらない。精々15人ぐらいのグループで、(それ以上だと皆さんの名前が覚えられない。)楽譜が読めなくとも多少音楽的感動を共有できる、そんなコーラスグループはないだろうか?しかし結論はあらためて非常に難しそうだなと思った。
 
| Art | 22:17 | comments(0) | trackbacks(0) | ↑PAGE TOP
上野国立博物館「仁和寺と御室派のみほとけ」

JUGEMテーマ:アート・デザイン


 仁和寺というと、御室の桜と吉田兼好が冷やかした法師しか私は今まで想像していなかった。この度法堂改修のためその御仏たちが大挙して上京してきて、東人も仁和寺の仏像を拝めることになった。御室派という一派の豪勢なつながりもあって、広島、香川、徳島、大阪などの同派の寺から寄せられた御仏たちもまた素晴らしい。そのためか自分もその一人だが大挙してここに現れた鑑賞者の多いこと、多いこと。これには正直驚いた。四列縦隊で300m以上この展示場に入るのに並ばされ、これは相当時間がかかるわいと覚悟していたところ、案外早く30分ぐらいで入場できたのは予想外だった。
 京都の仁和寺は応仁の乱で焼失し、三代将軍家光の頃に再興されたという。さぞかし兼好法師の時代(鎌倉時代初期)は権勢を誇っていたであろうと想像してしまう。高倉天皇や後嵯峨天皇の国宝宸翰など数々の書簡や曼荼羅が見られるが、私はパス、専ら御仏たちを鑑賞した。(江戸時代の鳥獣戯画まで出品されている。)なかでも
 広島 厳島神社の不動明王像(10世紀頃)
 香川 屋島寺の千手観音菩薩像(10世紀頃)
 徳島 雲辺寺の千手観音菩薩像
 大阪 葛井寺の千手観音菩薩像 
 観音さんの掌にはそれぞれ「眼」が描かれており、千の眼がこの宇宙の森羅万象を捉えていることになる。宝剣や独鈷杵などの武器、数珠や払子などの仏具などに交じって、しゃれこうべをぶら下げているのを見て驚いた。髑髏杖と言って鬼神をも従わせるパワーを持っているようだ。最後の葛井寺(ふじいでらと読む)の千手観音菩薩像が、文字どうり千手(1041本)の御手を広げて、善男善女に向かい合う御姿に感動する。
| Art | 21:34 | comments(0) | trackbacks(0) | ↑PAGE TOP
METライブビューイング 「トスカ」

JUGEMテーマ:アート・デザイン


 久しぶりにオペラ鑑賞。築地東劇にてニューヨーク・メトロポリタン・オペラの映像は、プッチーニのオペラ「トスカ」。これほど華麗なアリアを歌い上げるオペラは数少ないのでは、と思う。歌姫トスカ(ソニア・ヨンチョンバー)が恋人の画家カヴァラドッシ(ヴィットーリオ・グリゴーロ)を想って歌う「歌に生き、愛に生き」、カヴァラドッシが歌う「星はきらめき」など。恋敵というか、悪役の警視総監、スカルピア男爵(ジェリコ・ルチッチ)の歌声も素晴らしかった。
 時代はナポレオンがフランスをまとめていまにもイタリアに攻め込むという、西暦1800年ごろ。当時王政が敷かれていたローマで、脱獄してきた共和派の要人で友人のアンジェロッティを画家カヴァラドッシがかくまうところから始まって、間もなくその恋人のトスカが登場する。ソニア・ヨンチョンバーは豊満な肉体でボリュウム豊かな歌声を聴かせる。またMETの舞台装置はなかなか手が込んでいて、特に2幕目の大勢の群衆が入ってくる場面の斜め上方からのカメラアングルには感心した。
 かってマリア・カラスが称賛を浴び、パヴァロッティも演じ歌ったオペラをいま間近に見る思いがして十分に楽しむことができた。しかし残念ながら拍手や歓声がこの映画館では聞こえない。これが少し不満だったが・・・・
| Art | 21:50 | comments(0) | trackbacks(0) | ↑PAGE TOP
能 「二人静」

JUGEMテーマ:アート・デザイン


 渋谷から銀座、新装のGINZA SIXの地下三階に収まった観世能楽堂に初めて参る。正面に向かって右側の壁がもう2Mほど奥に広がっていたらとか、もう少し座席に余裕があれば上背のある外人が前に座っても大丈夫なのだがなとか、字幕スクリーンがあれば、など注文はいろいろある。しかし銀座の喧騒を一時でも忘れさせるこの空間をしばし楽しむことができてうれしかった。
 吉野勝手明神の菜摘女に静御前の霊が憑依し、やがて二人して舞うというこの物語は、現れた静御前の霊は本来我々の目には見えない存在として舞っているのかもしれない。最初菜摘女にその菩提を弔うために一日経を書いてほしいとその霊は無理難題を押し付けます。大勢で一日がかりで写経をしてくださいと依頼するのです。『もしも疑う人あらば、その時わらわはおことに憑きてくはしく名をばなのるべし』と。憑依した女に神職も我々観衆も静御前なら舞を舞って見せろとせがむと、本物の霊が現れるという劇的な展開になります。『船弁慶』でも白拍子の芸を静御前に強要しているのと同じ筆法です。
 しづやしづ しづの苧環繰り返し 昔を今になすよしもがな
私は以前この面を付けて視界が狭められた踊り手二人が、見事息を合わせて踊る様子に感嘆する文章を読んだことがある。実際に初めてみたこの舞台は、少し合っていないような感じがした。一緒に見たうちのカミさんは、むしろ意識して少しずらしたのではないか、と感想を漏らした。ふたりの顔つきが似ていなかったことも私の印象を妨げたのかもしれない。しかしふたりの舞姿がとても優雅だったことはまちがいない。
静御前と静御前の霊が乗り移った菜摘女の全く相似た容姿二人が同じ所作で踊る有様は、同じ人物の心の内側で起きる相克を現わしているのではないかと思えてきた。それにしても、われわれは自分と対立したり、同調したりするもう一人の自分といつも争っているような気がする。そして、ひとはどっちの自分を見ているのだろうかと。
 
| Art | 22:37 | comments(0) | trackbacks(0) | ↑PAGE TOP
椿貞雄 展

JUGEMテーマ:アート・デザイン


 今からおよそ30年以上前の頃の北習志野の、小さな瀬戸もの屋に(骨董屋も兼ねていたのだが)店の壁に冬瓜を描いた一枚の絵が飾ってあった。画面いっぱいに大きな冬瓜、白く粉が吹いたようなその表面、ゆったりどっしりとした存在感。つい撫でてみたいような親しみを感じさせる絵だった。誰の作ですかと訊くと、「椿貞雄」との答。『売り物ではないのですが・・・』と申し訳なさそうに付け加えられた。北習志野の駅前通りを通るたびに、その瀬戸もの屋はこの絵で輝いていたように思う。その頃休日にはケヤキ並木の大通りは歩行者天国になっていて、のんびりと楽しい雰囲気だった。
 千葉市美術館で開催中の『椿貞雄』展は、この冬瓜を画材にした静物画が数点あった。彼はきっとこの植物が好きだったのだろうと推測する。椿貞雄(1896-1957)は山形米沢の生まれ、岸田劉生に師事して『白樺派』と親しく、晩年はこの船橋に住んだ。展示会は劉生の作品も相当数見られる。椿貞雄が描く人物画は非常に劉生風な感じがする。また私は椿貞雄の重たい色使いの風景画より、これら冬瓜などを描いた静物画の方がずっと馴染みやすかった。
 
| Art | 12:50 | comments(0) | trackbacks(0) | ↑PAGE TOP
文楽「冥途の飛脚」
 言ってみれば公金、為替金高三百両を客に届けるために懐に入れた飛脚商売の忠兵衛が、馴染みの遊女梅川の身請けのために使い込みそうになるかもしれない危うい瞬間、道中でその身は二つに分かれて行きつ戻りつ
・・いや大事、この銀(かね)はもっては使いたかろう、置いてくれう、置いてくれう、行て退けう、行て退けう、やっぱり置いてくれう、いや行て退けう・・と一度は思案、二度は不思案、三度飛脚。戻れば合わせて六道の、冥途の飛脚。
忠兵衛は五度六度行きつ戻りつ、身もだえしつつ、やはり梅川のもとに走ってゆく。
 今回の公演では、新口村の段が「道行相合かご」となって、忠兵衛が実の父親と会う場面はない。敢えて注文を付けるなら最後の死出の旅路、雪が積もった道を二人が登ってゆく場面で幕切れとしてほしかった。世の中の酸いも甘いも知り尽くした梅川が、このような事態に忠兵衛を引きずり込んでしまった責任の一端を、愛しむように抱擁して許してあげたい。バレンタイン・デーに国立劇場にて、人形忠兵衛吉田玉男、梅川豊松清十郎。封印切の段竹本千歳太夫。
| Art | 21:38 | comments(0) | trackbacks(0) | ↑PAGE TOP
西江辰郎のヴァイオリン独奏
 昨年12月、このところ少し慣例になってきた第九交響楽はやめて、習志野フィルハーモニー管弦楽団の第90回定期演奏会に行った。(習志野文化ホール)そこで『シベリウスのヴァイオリン協奏曲』を聴き、身体が熱くなるような体験をした。独奏者は西江辰郎(にしえ・たつお)氏、新日本フィルハーモニーのコンサートマスターだという。
 長身白皙の若者が演奏するヴァイオリンの響きは、ほぼ満員の会場の人びとすべてを魅了したと言っても言い過ぎではないだろう。低く強く、高く細く、まさしく「北欧の空を、悠然と滑空するワシのように」演じ、オーケストラとも見事に調和し、華麗に舞った感がする。田久保裕一指揮する習志野フィルもこの独奏者に刺激されてか、迫力ある熱のこもったアンサンブルを聴かせてくれた。
 このところ私は腰が痛く毎週リハビリに通っている、また目や歯がさらに悪くなった、アレルギー性皮膚炎で背中が絶えずかゆいとか、頻尿症で病院通いをしているなどなど、残念ながら身体的な欠陥には事欠かなくなってしまった。さらに悪いのは記憶力が急速に劣化したこと。英会話の教室で簡単な単語がすぐに出ない。普通の会話でも失語症に陥った如く身もだえすることがしばし。70代半ばを過ぎて老化現象もいよいよ最終局面に入ったか? そんなことを考えることが日々多くなった。
 私はこの日この若きヴァイオリニストの演奏に感激するとともに、そんな彼の若さを羨む自分より、彼のエネルギーの昇華が私を元気づける方向に働いたことに改めて感謝したい。素晴らしい演奏ありがとう。
 
| Art | 15:03 | comments(0) | trackbacks(0) | ↑PAGE TOP
習志野フィル演奏会
 それはコンサートマスターがオーケストラの調音を終えて着席し、いよいよ指揮者の出を待つほんの短い間に起きた。『バシッ』とまるで木が裂けたような音が場内にこだました。コンサートマスターのすぐ後ろに座っていた女性奏者が立ち上がるとヴァイオリンをもって倉皇と楽屋に引き下がった。いつもより長い時間をおいて指揮者だけが現れて演奏が始まった。 曲はショスタコヴィチ第5番『革命』。第1楽章が終わるまでその席は空席のまま、ようやく第2楽章がはじまる前の小休止の時に奏者は戻ってきた。
 現場は見なかったが、多分弦が切れたのだと思う。それにしても演奏がこれから始まろうとするときに弦が切れることがあるのだろうかと不思議に思った。パガニーニの映画でも見たようにヴァイオリンの弦が切れることはよくあるようで、予備のヴァイオリンを舞台片隅に用意している場合もあると聞く。しかし今回奏者は相当慌てていた様子がする。この交響曲、ショスタコヴィチがスターリンの鼻息をうかがいながら作曲したという噂もあるから、その演奏でミスをしたなら、シベリヤ行きもあるかと私は想像を逞しくした。そして ・・・三の糸切れたら二の糸で…二の糸が切れても一の糸でその音はだせる。そやけども、一の糸が切れたときは三味線はその場で舌を噛んで死ななならんのや・・・・と徳兵衛が悲痛に語った『一の糸』(有吉佐和子作)を思い出した。
 革命のお祭り騒ぎの部分は確かにあるが、全体は静かな雰囲気が漂っている曲のように感じた。演奏が終わって喜びとともに通常ほっとする感じが沸き起こるのだが、今回の演奏会はなにか少し重苦しい空気で覆われていた。
| Art | 18:22 | comments(0) | trackbacks(0) | ↑PAGE TOP
カラヴァッジョ展(国立西洋美術館)
 どういうわけかごく最近まで、カラヴァッジョはドラクロアなんかと同時代の人物だ、と私は思いこんでいた。陰影の濃い、激しい息遣いが感じられる画面から勝手に想像していたのだ。カラヴァッジョが活躍したのは16世紀終わりから17世紀初め、ラファエロ、ミケランジェロなどのルネッサンス期の後に登場するイタリア人画家。一方ドラクロアは19世紀前半、ナポレオン一世から三世の時代に活躍したフランスロマン主義を代表する画家であった。カラヴァッジョの数奇な人生については、偶々『攻略!英語リスニング』で予習していたので驚かなかったが、喧嘩っ早い男だったようで40歳前に死んでしまった。気の毒な人生だ。
 展示は7つの部屋に分散されて、各部屋に1点か2点彼自身の作品があり、ほかは彼の流派が当時描いた作品群で、みなまとまりがあってなかなか良かった。流派といっても彼の弟子と言うわけでなく、いわゆるバロック期のイタリア絵画である。『マッフェオ・バルベリーニの肖像』をカラヴァッジョが描き、その画の青年が後年教皇(ウルバヌス8世)になった姿を、ベルニーニが描いているのが面白かった。ほかの作品ではウフィツィ美術館所蔵の『バッカス』だろうか。またキリスト磔の決定的瞬間、『エッケ・ホモ』(この人を見よ)といばらの冠をかぶせ、紫のコートを被せたキリストを前に総督ピラトが人々に語り掛けるシーン。この絵画は今でも強い感動をもたらしている。
| Art | 17:30 | comments(0) | trackbacks(0) | ↑PAGE TOP
習志野第九演奏会
 久しぶりに習志野文化ホールでオーケストラを聴く。年末慣例の『ベートーヴェンの第九交響曲合唱付き』である。千葉県で唯一のプロ集団だという「ニューフィルハーモニーオーケストラ千葉」は、やや小ぶりのオーケストラだったが、アンサンブルはとても豊かに聞こえた。(ドラムや管楽器の音がが少しわびしく聞こえた。)それに対し習志野第九合唱団は330名近くの大合唱団。オーケストラやソロの独唱者を圧倒していた。ソロの4人はやはりオーケストラの前に位置した方が私は好いと思う。バリトンの原田圭がよかった。ないものねだりではないが、もう1曲ぐらいこの合唱団の歌声を聴きたかった。4年振りにシニアーたちの勇気ある『歓喜の歌』を楽しんだ。指揮飯守泰次郎
 1824年この第九交響曲が初演されたときには、もう指揮者のベートーヴェンの耳は聞こえなくなっていて、聴衆の鳴りやまぬ拍手は、歌手が彼を振り向かせるまでわからなかったという。でもその感激は如何許りだったろう。 
| Art | 21:14 | comments(0) | trackbacks(0) | ↑PAGE TOP