After the Pleistocene

A memory of my ramble
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ウーバー旋風

JUGEMテーマ:モブログ


 このお盆休みでまた息子たち家族と那須・白河へ旅行した。われわれ老夫婦はただぶら下がっているだけで、すべて彼らが計画してくれるから楽と言えば楽だけど・・・・。腰が痛いなど確かにあまり身体の自由は利かなくなり、もう無理はできない身体になってしまったことは否定できないが、やれ耳が遠くなってきたとか、腰が曲がってきたとかは見る人の主観も大分入っているのではないかと私は推測する。いつものように孫たちとトランプで遊ぶことができ楽しかったけれど。
 最近デトロイトと北京へビジネスで旅行をした息子の話がおもしろかった。スマホの位置情報を利用したタクシーの利用(ウーバー)が非常に便利だったこと。しかも北京では同じような方法で乗り捨てに近い形で自転車を利用できるという。世の中進んでいるなあと嘆息するばかりだ。それにしてもなぜ日本ではまだそれが発達してこないのだろう?その昔、世界各国で携帯電話がすでに利用されているのに、なかなか日本では認可されなかったことが思い出される。北京や上海の物価は東京をはるかに凌駕しているそうだ。
 うちのカミさんはWi-Fi(職場でウイフィーと話して笑われたそうだが)について嫁さんに尋ねていたが、彼女の話しはますます難しくなるだけで要領は得られなかった様子。残念ながら私は端からついて行けなかったのだが。さらに恥ずかしながら、「アマゾン・ボタン」なるサーヴィスも初めて聞いた。遅れているのお〜
 
| Diary | 23:35 | comments(0) | trackbacks(0) | ↑PAGE TOP
津田沼のスカイスクレーパー

JUGEMテーマ:モブログ


 
 先々週辺りから西の壁際にある白いムクゲが咲きだし、毎朝咲き終わって道路に散ったつぼみを拾って捨てるのが私の日課になっている。家の東側の柔らかいピンクの芙蓉も今は盛り、ここ数年花を付けなかったアメリカフヨウもフラメンコに出てくるような真っ赤な色彩で現れた。今年は孫のリリーちゃんが学級栽培で余した朝顔の種を植えたので、これも先週末から毎朝二つ三つと咲き始めて楽しませてくれる。庭ではミニトマトが採れ、今年はシシトウが豊作。僅か3本ぐらいなのに十分夕飯のおかずになってくれる。これからはゴーヤがたのしみ。(失敗なのはカボチャで、花はたくさんつけたのに、なんと実を結んでくれない。)
 もはや旧聞に属するが、JR津田沼駅から見るとモリシアの後側に大きなビルが今建設中である。昔仲よし幼稚園という小さな幼稚園があったところで、大分前から駐車場や駐輪場になっていた。仮称だが「津田沼プレミアタワー」と呼ばれている。なんと44階建て(戸数759)のマンションビルがそびえたつことになる。お隣の千葉工大の2棟のビルがともに20階建て、谷津側から見てガガたる砦のようにも見える24階建ての奏の杜のザ・レジデンスのマンション群、そしてこのタワーマンションと揃うと、この津田沼の空も昔風に言うなら『摩天楼』、スカイスクレーパーに占拠される。あのあたり野原を飛び回っていたヒバリたちは今どこへ行ったであろう。私が今心配しているのは、おなじ習志野市でも東側の鷺沼4丁目あたりの広々とした台地。総武線で行くと津田沼から幕張本郷へ行く途中、海側に展開する野菜の畑地である。徐々に戸建て住宅が侵食してゆき、そのうちアパートやマンションも進出するだろう。
 最近耳にした噂では、船橋市役所が移転を考えているとのこと。現在立っているところが津波などの災害に弱いからというのが理由らしい。最近完成した習志野市役所が、どれほどこれら災害に対して検討していたのか私には定かではない。でも両者とも立地条件は大差ないように思うのだが・・・
| Diary | 23:17 | comments(0) | trackbacks(0) | ↑PAGE TOP
椿貞雄 展

JUGEMテーマ:アート・デザイン


 今からおよそ30年以上前の頃の北習志野の、小さな瀬戸もの屋に(骨董屋も兼ねていたのだが)店の壁に冬瓜を描いた一枚の絵が飾ってあった。画面いっぱいに大きな冬瓜、白く粉が吹いたようなその表面、ゆったりどっしりとした存在感。つい撫でてみたいような親しみを感じさせる絵だった。誰の作ですかと訊くと、「椿貞雄」との答。『売り物ではないのですが・・・』と申し訳なさそうに付け加えられた。北習志野の駅前通りを通るたびに、その瀬戸もの屋はこの絵で輝いていたように思う。その頃休日にはケヤキ並木の大通りは歩行者天国になっていて、のんびりと楽しい雰囲気だった。
 千葉市美術館で開催中の『椿貞雄』展は、この冬瓜を画材にした静物画が数点あった。彼はきっとこの植物が好きだったのだろうと推測する。椿貞雄(1896-1957)は山形米沢の生まれ、岸田劉生に師事して『白樺派』と親しく、晩年はこの船橋に住んだ。展示会は劉生の作品も相当数見られる。椿貞雄が描く人物画は非常に劉生風な感じがする。また私は椿貞雄の重たい色使いの風景画より、これら冬瓜などを描いた静物画の方がずっと馴染みやすかった。
 
| Art | 12:50 | comments(0) | trackbacks(0) | ↑PAGE TOP
高木芳徳「トリーズの発明原理40」

JUGEMテーマ:読書


 この猛暑の時期に、ちょっと難しそうなテーマにトライするのも私の消夏法のひとつ。わかってもわからなくてもよい、凡そどんなことを論じているのを知るだけでも頭の体操になると思っている。
 1950年代のロシアのゲンリッヒ・アルトシューラーという特許審査官が、約200万件の特許審査案件に接して、その問題解決の手法を僅か40の原理にまとめた。第二次世界大戦を勝利してアメリカに先駆けてロケットを宇宙に飛ばしたようなソ連の先端技術をリードしたこの原理が、90年代以降ソ連の崩壊に伴って西欧諸国に流出した。多くの発想法が、主観的仮説のまま終わっているか、せいぜいが「実際に使ってみて実績が上がった」という定性的評価にとどまっているのに対し、アルトシューラーは、この原理を用いて出願された特許の「定量的検証」を行っていた。私は本当に爛好乾ぁ蹐海箸世隼廚Α
 それぞれの原理の説明はイラスト入りで分かりやすい。例えば4番の非対称性原理の場合、パソコンのコネクターを台形にしたり、突起を設けるなどしてさかさまに入らないようにする、など通常考えられる対称性を崩して非対称性を考えるとあっさり問題解決する例。7番の入れ子原理の場合、フォルダーの入れ子構造のおかげで大量のファイルを管理できる例など。14番の局面原理は非常に使い勝手の良い原理で巻き尺や自転車に利用されている。30番の薄膜利用原理の例に小籠包やケーキなどがあげられていておもしろい。薄膜で物質を覆い、内側と外側を分離したり、薄膜を丸めたり重ねたりすることで三次元構造を作り、問題を解決する方法だ。
 私のような気が早い読者は、「『トリーズの発明原理』はわかった、では発明の現場で実際にはどう使うのか?」とすぐ早合点してきそうだ。そのあたりを第3部の発明原理実践編が触れているのだが、少し簡単すぎて私には理解できなかった。これは稿を改めてぜひ続編に期待したい。この原理の失敗事例などもきっとたくさんあるに違いない。私の空想科学では、「エラ呼吸がどう肺呼吸に進化したのか?」とか、「4脚歩行がどう2足歩行に進化したのか?」など進化論の問題まで幅を広げてみたい。
 
| Book | 12:48 | comments(0) | trackbacks(0) | ↑PAGE TOP
映画「ヒトラーへの285枚の葉書」

JUGEMテーマ:映画


 『たかが反戦ビラぐらいで』などと思ったらいけない、書いた人物はもちろん、それを拾って届けなかった者も重罪に処せられるのが独裁国家の怖いところで、太平洋戦争中のわが国では幸か不幸か、誰もそんな無鉄砲な行為に走るものがいなかった。反逆罪の汚名が重くのしかかる社会。『贅沢は「素」敵だ』といって、吉原で豪遊するのが最大の反戦運動であったかもしれない。現在の中国ではネット社会の監視役として約30万人の人間が働いているという噂。
 最初華々しい戦果を挙げたナチス・ドイツの進撃も、息子を戦場で亡くしたオットー(ブレンダン・グリーソン)とアンナ(エマ・トンプソン)のクヴァンゲル夫妻にとっては正に苦々しいものだった。『ヒトラーは私の息子を殺した。あなたの息子も殺されるだろう』『ヒトラーは間違っている』と、宛先のない葉書に次々手書きしては、夫妻は人に知られぬようそうっとベルリンの町のあちこちに置いて回った。その数、285通。回収しえなかった葉書が何枚あるか、ナチスは恐慌をきたしていた。必死になって警察やゲシュタポは犯人を捜しまわり、誤認逮捕までする始末。エッシャリヒ警部(ダニエル・ブリュール)はついにオットーを突きとめるが、オットーはこれを予期していたが如く、声高に自己主張することなく静かにギロチンの刑についた。この事件の虚しさにようやく目覚め始めた警部が空しくこの処刑を見守ったあと、手元にあったこれらオットーの葉書を役所の窓から外にばらまいたのは、映画のストーリーとしてはいささか蛇足に見えた。まるで反戦運動がその後のドイツで拡散するが如くであったが、『白バラ』の抵抗運動以外、ナチスドイツに市民運動は起きなかった。監督 バンサン・ペレーズ
| Movie | 21:42 | comments(0) | trackbacks(0) | ↑PAGE TOP
映画「パイレーツ・オブ・カリビアン/最後の海賊」
 ご存知、ジョニー・デップ扮する海賊船の船長ジャック・スパロウが活躍するブロックバスター映画も、これが5作目。まだまだ続くようだ。"undead"とは、私の持っている辞書ランダムハウス英和辞典には載っていないが、Weblioによれば、『かって生命体であったものが、すでに生命が失われているにもかかわらず活動する、超自然的な存在の総称』。ぶった切り撃ち殺したはずなのにまた生き返って立ち向かってくる、言ってみれば幽霊やゾンビたちのことだが、確かジャック・スパロウもその一味のはずが、この映画ではほぼ生身の海賊として暴れまわる。彼の飄々とした生き方とともに、観客はそのあたり融通無碍な映画を楽しんでいる。「今度はお前が死ぬ番だ。」とか、「俺がタダで死ぬと思うか?」のジャックのセリフはそれなりに意味がある。
 かって『聖杯』の水がこれら亡者どもを蘇らせたように、今回は『ポセイドンの槍』がその効力を発揮させるとの伝説に、「海の死神」サラザール(バビュエル・バルデム)や「カスピ海の王」バルボッサ(ジェフリー・ラッシュ)が、カリブ海の海底から蘇りジャック・スパロウに挑んでくる。また『生者』に戻って活躍したいと彼らは必死に望みを繋いでいるのだ。ジャック・スパロウを追い詰めるサラザールが「わしら(亡霊)は陸に上がれない」なんて弱音を吐くところがまたおもしろい。軟体動物系の面相をしたディヴィ・ジョーンズが、ここに一枚加わっていなかったのが残念でした。
 瀬戸内地方の塩飽諸島などを根拠としたかっての日本の海賊たちは、大阪石山本願寺をめぐる攻防で豊臣秀吉の水軍に敗れて以降、急速に勢力を失ったようだ。民俗学者沖浦和光の『瀬戸内の民俗誌』によれば、『漁業権を持たぬ家船漁民は、村々の地先海面での漁業が許されなかったので沖合で漁をするほかなかった。しかし、各地の海村が占有する地先海面もしだいに沖にせり出していったので、魚がたくさんいて自由に漁ができる場所はしだいに狭められていった。』これら海賊の後裔たちの家船の漁民たちは、明治維新後政府の定住化政策もあって姿を消していった。なにしろ戸籍がなくて、子供が学校に行けず文字が読めないなど差別されていた悲しい歴史がある。
 カリブの海賊が活躍したのは17世紀半ばから18世紀半ばごろまでのようだ。1643年イスパニアに衰退の兆しが見えてから、1762年に英国がドミニカやハバナを占領するまで約100年ぐらいの期間か。やがて次第に海賊の活躍する場所は制限された。ソマリア沖の海賊はまた別の話。だからこの映画の中でギロチンが現れたのには驚いた。なぜならギロチンはフランス大革命(1789)勃発後の発明品だから。時空を超越した話なら、カリブの島に建てられた銀行の立派な金庫が、建物ごとジャック・スパロウたちに引っこ抜かれる話は、現在のケイマン諸島のタックスヘブンを揶揄したものとみたがどうか。
| Movie | 15:30 | comments(0) | trackbacks(0) | ↑PAGE TOP