After the Pleistocene

A memory of my ramble
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八十の坂
 遅くなりましたが、本年もよろしくお願い申し上げます。
私もとうとうと言うか、遂にと言うか今月まもなく81歳になります。脳天気のくせに若い時から自殺願望があり、ここまで生きて今更長寿を望む気はないものの、もう少しだけ世の成り行きを眺めていたい、こんな思いを抱いています。その矛盾した気持を表現するように、夜寝てから夢の中で争ったり、暴れたり、喚いたりして隣に寝ているカミさんに大変迷惑をかけています。自分にとって夢を見ているのが半分わかっているくせに、情けないことですがこれが事実です。
 夢は私の20代から30代ごろの悩み多い仕事にからんだものが多く、不満だらけの仕事だったことを反映しているのかもしれません。今やわが息子たちも40代半ばに至り、いまさらオヤジはなにを言っているのだと笑うことでしょうが、当時仕事の苦闘を和らげるものが本当に少なかったなあ、と今更ながら嘆息するばかりです。
 私の夢の中にはコロナ禍の悲惨な状況も、いま一触即発のウクライナをめぐるロシアとアメリカ、EUとの争い、中国の強引な外交問題など、全く出てきません。昔の古い仲間、気に食わない上司ばかりです。でも何についてか、誰に対してか全然はっきりしません。ただやたら怒っているだけです。なんとも非生産的な行為で困ったものですね。近年這うようにして八十の坂を登ってきましたが、もう少し余裕をもって社会を眺められたら、と遅ればせながら念じています。それにしても次から次へと社会問題が発生しますね。
 
  天地(あめつち)に われ一人ゐて立つ如き この寂しさをきみは微笑む 
       會津八一
 
| Diary | 11:35 | comments(1) | - | ↑PAGE TOP
後ろ向きの内裏雛
 『うちは代々”女系家族”なの。』と自称する親類の客間には、毎年立派なお雛様が飾られる。しかし、今年もコロナ禍のため、恒例のちょっとした”テイ―・パーテイ”はお流れとなってしまった。誠に残念至極である。
 五段に飾られたお雛様は桃の節句の後、大急ぎで片付けられるという。さもないと娘たちの婚期が遅れてしまう可能性があるという、誠に失敬で厄介な”しばり”があるのは聞いていた。収納スペースがとても手狭になった昨今、取り出すのも大変だがこれらを仕舞うのはもっと大変だろう。その昔まだ流し雛だった頃にはなかったマイナス情報だが、この忙しい時代になんともあさましい。そこで考えたことかもしれないが、最上段の一対のお内裏様に、片付けが終わるまで後ろを向いていただく、というのが最近はやり始めたらしい。いよいよの時はお寺さんに預けるというが、お寺さんは一体どうするのだろう。あまり深く考えたくない問題である。
 もうちょっとコロナ禍以降の世の中を見ていたいために、誰か後ろを向いていてくれないだろうか?
 
 
 
| Diary | 21:32 | comments(0) | - | ↑PAGE TOP
コロナ禍

JUGEMテーマ:健康


 ここ1ヶ月ぐらいの新聞の活字で、「コロナ下」が「コロナ禍」に変貌しているのを感じているが・・・。毎月の定期健診の際、「どのようなこと、気を付けたらよいでしょうね?」と主治医に尋ねたら、「感染症に気を付けてください。」と言われた。「あア、コロナですね。」となぞったら、「インフルエンザも、です。」とピシャリと被せられた。通常の健康体の10分の1位まで白血球の数を落としてがん細胞と対峙するこの「悪性リンパ腫」の身体では、コロナのような強力なウイルスに出会ったら、たちまちイチコロで降参せざるを得ないことになるだろう。そんな訳で朝夕体温を測り、少しでも異常があるとさらに安静にして日々を過ごしている。
 豪華クルーズ、ダイアモンド・プリンセス号が横浜港に着岸したのが2月5日、次第にその凶暴さを発揮し始めていた新型コロナ・ウイルスCOVID-19に感染した乗員乗客を含む3,711人を中国武漢から運んでくる。ちょうどその頃、まだ入院したばかりの私は、日々検査に追われる毎日だった。各種のレントゲン検査より厄介だったのは、血液検査で、私の腕の血管は看護師泣かせの非常に採血しにくい体質のようだ。この静脈注射は点滴の場合も同じで、一度は間違ったところに針を刺して一ヶ月ぐらい青なじみになったこともある。それから私が腰痛持ちだったことも辛く、やがて4カ月後には脊椎の圧迫骨折となって恐怖の凄まじい痛みを発生させた。しかしそれでも12,3人はいる若くて元気な担当の看護師をからかいながら、非常にのんびりした気分で、個室の入院生活をエンジョイしていた。息子たちはこのままボケてしまわれては困るからと、IPADまで差し入れてきた。
 最初のコロナ緊急事態宣言が発令された後、「市の指定病院になっているから」ということで、この病院もコロナ患者を受け入れざるを得なくなったようだ。急遽病院内部の改造工事が行われ、厳重な出入りチェックができるようになり、ある晩患者が到来した。それまでの押し込めたようなざわめきが、ぴたっと止まって、今度は深い井戸の底のような静けさに病院全体が包み込まれた。それはなんとも重苦しい時間だった。
 
| Diary | 16:41 | comments(0) | - | ↑PAGE TOP
遅れた年賀状

JUGEMテーマ:健康


 東西とう〜ざい。本年もどうぞよろしく御贔屓のほどを。
 小生昨年の悪性リンパ腫の痛手からまだ十分に回復していないので、今年はとうとう年賀状を出しそびれてしまいました。この慌ただしい時勢から、いまや年賀状どころではないわいと半分諦めの気分もありました。でもいつもの友人達から、「お変わりはありませんか?」の問いを年賀状で投げかけられると、電話を掛けてでも少し話し込みたい気分になります。
 医者から「寛解」の承認を得ていますが、(がん細胞は今の私の身体には見当たらないとのこと)ほとんどの友人、知人にいままで何も報告していないので、話しが面倒になってつい止めてしまうのです。昨年9月末に退院したものの、自宅療養中の身で、カミさんの厳重監視のもとそろそろとリハビリに取り組み始めています。両足先のシビレ、ムクミ。皮膚のかゆみ、おもだるい気怠さ。8ヶ月の入院生活はいろいろな弊害をわが身にもたらしました。病院のベッドの中から時には無謀な言葉を吐いて、「ここでは皆さん、頑張っているのですから。」と、若い看護師からたしなめられることもありました。それにしても80歳のこの貧弱な身体で、よし生き延びたとしても何をやるんだ?と自問自答することもしばしあります。ともかくあと5年は生き延びて、好きな本を読み、美味しい料理を食べて、世の中どう変わってゆくか懸命に観察してゆきたい。今後ともどうぞご贔屓のほどよろしくお願い申し上げます。
| Diary | 17:58 | comments(0) | - | ↑PAGE TOP
悪性リンパ腫
どうもすっかりご無沙汰してしまいました。実は今年に入って丸八カ月も病院に入っていて、まだ退院したばかりです。自宅で療養中の身ですがまだ全く調子を掴めず、正直フラフラしています。原因は今流行りの新型コロナウィルスではなく、悪性リンパ腫。
 いつも五月の連休過ぎに一日人間ドックに入って精密検査をしている。ここ2,3年は病院の基金による検査対象が狭まり、検査の数項目は有料になったが、手早く予約ができるので前以て予約をして毎年かかっている。だが昨年は少し手抜きした感じがする。直腸検査や、胃カメラを飲み込む検査を昨年はパスした。しかしナースや医師の聴き取り問診のとき、のどのところにできた1cm弱のグリグリ(リンパ節)については「ちょっとおかしい。」と私ははっきり訴えた。特に痛くもなかったので、医師たちの「耳鼻咽喉科で診てもらいなさい。」という忠告を私は無視してしまった。
 昨年の夏場は、なにか体に力が入らない上、体重が62,3キロぐらいから55キロぐらいまで痩せ、体調不良をカミさんや友人たちに訴え続けた。しかしどういう訳か専門医には診てもらわなかった。ようやく10月に津田沼駅前の新しい耳鼻咽喉科で喉のリンパ球を診てもらったところ、すぐ「船橋医療センター」に行きなさいと紹介状を書いてくれた。医療センターでは血液検査や、リンパ節採取の手術で検査したところ、もしかすると悪性リンパ腫、がんだと判明したが、私に解かるように「これはガンだ」とはっきりは明言しなかった。病名に「がん」と明記されていなかったからかもしれない。
 医療センターの紹介で病院を紹介されたが、ここではじめて「これはガンです。」と言われて私は飛び上がるほどびっくりした。家族に相談したところ、ガンの専門医に診てもらうべきということで、柏のガンセンターへ急遽駆けつけてPET透視検査など受け、どのような治療が良いのか問われて、さらに地の便を考えると前の病院が一番適当ではないかと勧められて、またもとに舞い戻る二重の手間を掛けた。残念ながらその間2カ月ぐらい病状は進行し、今や第三ステージに至っていると宣告された。

JUGEMテーマ:健康



| Diary | 17:05 | comments(1) | - | ↑PAGE TOP
黒塗の御膳
 生意気盛りの中学一年の時、夏休み一人で、東京から父親の茨城の実家に旅行した。戦後の食糧難の時代に何もない都会より田舎の方が健康に良いだろうと思ったのかもしれない。敗戦間際から3年ばかり一緒に暮らしたこともあり、従兄弟たちとは十分顔見知りだったし、叔父や叔母たちからも平等に扱われた。
 しかし、その初日の晩夕餉の席について驚いた。叔父の横にポツンとひとつ黒塗の御膳が置かれて、自分の席を指定されていたことだった。4、5人の従兄弟たちは別の部屋で一緒に食事をしていた。食事の間少し会話は行われたが、静かでのんびりとした時間がそこには流れていた。
 黒塗の御膳に最初びっくりした。もしかしたら今の自分のちょっとした都会住まいに少し鼻が高かったのかもしれない。今風に言うならば、足のついたトレーに料理が2、3品載っているだけに過ぎないかもしれないが、そこにはとても太刀打ちできない伝統やら格式も一緒に運ばれてきた感じがした。
 そう、食事には神様、仏様に捧げた食物をわれわれ人間どもも相伴させていただくという意味も込められている。新型コロナウィルスの跳梁跋扈以来、テレビはやたらと食事、グルメに関する番組が多くなったが、そんなことはすっかり忘れられてしまった。見ず知らずのところにズカズカと入り込み、たらふく飲み込んでは、ただ「うまい!」というだけの映像はもう早くやめて欲しい。季節の移り変わりで素材を選択し、料理方法を変え、それを皆で味わってこそグルメの神髄だと思うのだが・・・・


| Food | 11:37 | comments(0) | - | ↑PAGE TOP