After the Pleistocene

A memory of my ramble
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映画「ガーンジー島の読書会の秘密」

JUGEMテーマ:映画


 この長い題名の映画、”The Guernsey Literary and Potato Peel Pie Society”は第二次世界大戦が終わって3年ぐらいの経過したガーンジー島を舞台にしているが、勿論終わったばかりの戦争の傷跡を皆振り返らないではいられない。この島や隣のジャージー島はフランス本土からほんの20〜30辧英国本土から100劼曚匹藁イ譴織ぅリス王室領だが、ナチス・ドイツとの闘いが始まると早々にイギリスはその防衛を放置してしまった。イギリス領土で唯一ドイツに占領された島だという。ドイツはこの島に砦を築き、地下道を廻らしたが、ヨーロッパ大陸への連合軍の猛烈な反撃・ノルマンディ上陸作戦はすぐ隣の海岸で行われたのだった。
 作家のジュリエット(リリー・ジェームズ)はふとしたことから、この島で戦時中読書会を開いていた人々と知り合いになり、その会の秘密に触れることになった。しかしこの会を主宰していたエリザベス(ジェシカ・ブラウン・フィンドレイ)の姿が見えないし、彼女の話題に触れることを皆避けていることを知った。戦時中占領されている島は戒厳令は敷かれているし、食料は大幅に制限されていたであろう。読書会を名目にした小さな集まりはこのような不便を紛らわすささやかな食事会でもあった。やがてエリザベスはドイツ人の青年医と恋仲になり、農家の青年ドーシ―(マイケル・ユイスマン)は振られる形となった。その上彼女は潔癖でもあった。戦時であろうがドイツ軍の汚いやり方には声を上げないではいられなかった。戦争さえなければ・・・そうこの映画には激しい戦闘場面が一切なかった。彼女と青年医師との幸せな時期はほんの一時・・・可愛い女の子が生まれ、あとに残されてドーシ―が面倒を見ることになった。終わったばかりの戦争を敵味方の憎悪の視点からではなく、戦争それ自体を憐れまないではいられないこと。そしてガーンジー島の美しい自然と、人々の優しさに感動せずにはいられなかった。監督マイク・ニューウェル
| Movie | 22:05 | comments(0) | trackbacks(0) | ↑PAGE TOP
好きな「そば」は、何そば?
好きな「そば」は、何そば?



JUGEMテーマ:グルメ


「けんちんそば」。大根、ニンジン、サトイモ、ゴボウ、鶏肉など具沢山のけんちん汁に、茹で上がった少し太めのそばをざるそば風に付けながら食す。細く切ったネギも薬味としてぜひ添えて欲しい。だれもこの美味しいおそばに言及しないので、茨城の祖父母の田舎で食べたこのおそばを自慢したくなった。
 自家製のそば粉を足で踏んで伸ばし、麺棒で平らにするのも子供のころ面白半分少し手伝った。囲炉裏の自在鉤に釣った大なべから美味しそうな匂いが流れ出すと賑やかな夕食が間もなく始まる。食すると口の中でそばのゴソゴソ感とけんちん汁の脂っこさが微妙に調和して、いくらでも食べられるような気がしたものだ。そう言えばけんちんそばを最近食べていないなあ!
| Food | 21:21 | comments(0) | trackbacks(0) | ↑PAGE TOP
科学博物館へ

JUGEMテーマ:モブログ


 私たち爺さん婆さんが小学5年の孫たち二人を、夏休みの校外学習として、上野の科学博物館へ連れて行ったが、実際は「連れてゆかれた」のは私たちの方だったかもしれない。そう言えば博物館の面白さは映画「ナイトミュージアム」(2006年製作)よく表現されていた。真夜中になると、いままで剥製だったり、標本だったりした動物たちが動き出し、米西戦争の騎兵隊長セオドア・ルーズヴェルトが乗馬姿で館内を駆け巡っていた。恐竜「ティラノサウルス」まで暴れまくるので最後どうなるのかとハラハラしたものだ。古色蒼然とした感じの展示物が多いこの上野の博物館の興奮させる見物は、新設の『シアター360』の全方位映像かもしれない。
 今回『恐竜博2019』では「デイノケイルス」と「むかわ竜」を特別展示していたが、全長8m恐竜の巨大さには皆少し慣れっこになってしまったようだ。館内を見渡すと中学生より幼稚園の子供の数の方が多いように見えた。ティラノサウルスのぬいぐるみ人形の効果だろうか?デイノケイルスの長い前足(2.4m)、身体に羽毛が生えた状態、卵から孵った子たちを養育していたかもしれぬ巣の状態など本当は興味深い。現在の鳥類に非常に近い存在になったと見る。恐竜の一族は中生代の三畳紀(2億5千年前)から始まって、ジュラ紀、白亜紀と繁栄を続けたが、6,600万年前ユカタン半島沖に落下した巨大隕石の影響で絶滅したと言われる。人類が地上に現れるのはこの後ずっと先の、今から700万年前ごろと言う。子供たちはこんな時間感覚が掴めたろうか。これから50万年も過ぎたら、バルタン星人と地球の子がオセロを遊んでいる場面が博物館でみられるのかしら。
 二人の子たちは、質問攻めでわれわれを困らせる訳でもなく、じいっと魅入ってその場を動かないということもなく、疲れてすぐ座り込むわれわれを気遣ってくれたが、最後はミュージアムショップでお土産物を買うのに散々時間を費やし、リュウグウノツカイを入れたキーホルダーを買った。とにかく無事終ってうれしい。
| Nature | 12:38 | comments(0) | trackbacks(0) | ↑PAGE TOP
キャロット公園の盆踊り

JUGEMテーマ:地域/ローカル


 JR津田沼の南側領域の大部分を占める「奏の杜」の空間に、今や「ザ・タワー」なる44階建ての高層マンションの最上階が姿を見せてきた。積み木を乗せるように3階から4階分を一気に持ち上げてゆく工法を採っているようで、慣れるにしたがって上に揚がるほどそのスピードはアップしているようだ。驚くことには既に全戸完売だという。そんな街並みの一角にこのキャロット公園は存在するが、大勢が輪になって踊るには少しスペースが不足だった。奏の杜公園の広場を使えば、櫓でも建てられるのにと思ったが、なにかとやかましい規則があるかもしれない。
 屹立する高層マンション群に囲まれたこの小さな公園は、200人足らずの近隣住民ですぐ満杯になり、太鼓やスピーカーの周囲を三重、四重に囲んで踊りの輪ができたが、ものの1時間ぐらいであっという間に盆踊りは終わってしまった。「こうやって皆で昔盆踊りを楽しんだものだよ。」と小学生たちに眺めさせる程度のものだった。地球の反対側、南米アルゼンチンの町の盆踊りは、5千人以上の人々が楽しんだと、私はつい最近英会話のニュース教材で読んだばかりであった。
 50代、60代のベテランの女性たちがあまり見かけない。昔は婦人会やなにかでそろいの浴衣を着て踊っていたエネルギッシュな踊り手たち。また年寄りもほとんど見かけない。以前ならこの盆踊りだけは颯爽とやってきて、優雅に踊りまくる老人たちはいまやどこへ行ったのだろう。『また今年もやってきました。』と笑顔だけで元気を分けてもらえたものだ。そのうち秋田羽後町の西馬音内の盆踊りのように、蓑笠や継ぎはぎの衣装で身分や年齢を隠して踊らなければなくなるのか、と少し暗い気分になった。(2009年8月23日の当ブログ参照)
 踊りの周りで金魚つりの模擬店が店を出していたが、そのプラスチックの金魚を捕まえる薄いネットがなかなか破れなくて小さい子でも沢山採れてしまうのには笑ってしまった。それでも金魚は一匹だけよ、と言われ、あとは小さなあられ玉のようなボールにいまや金魚釣りもすっかり変わってしまった。
| Diary | 18:46 | comments(0) | trackbacks(0) | ↑PAGE TOP
松島へ

JUGEMテーマ:旅行


 先月下旬、別に漂泊の思いに駆られたわけでも片雲の風に誘われたわけでもなく、『最近旅行に行ってないわね、温泉にも入ってないわね。』というカミさんの声で仙台、秋保温泉、松島でぶらりと遊んできた。仙台城は一緒に来たことがあるというのだが、さっぱり私の記憶に残っていない。地下鉄の駅の大きな看板で、スケートの羽生ユズル君がここの出身だったと思いだした。松島は小雨が降っていた。
 伊達政宗建立という立派な伽藍の瑞巌寺は、海岸から200m位しか離れていないほゞ平らな土地に位置し、すぐ後ろには山が迫っていた。所どころ山の崖を削り石像を安置していた。瑞巌寺を参詣した後、海岸すぐ近くの食堂で昼飯を食べた。決して興味本位で訊いてはいけない事なのだが、この食堂のおねいさんにあの東北大震災のことを私は訊かないではいられなかった。あれからもう8年以上の歳月が経過したが、身内に不幸があった人々は決して忘れていないことだろうし・・・しかし訊かないではいられなかった。
 『ここらあたりは1m10か20ぐらいの高さまでしか波は来なかった。松島町では二人の犠牲者が出ましたが、どうも身体が悪い方だったようです。』と彼女は教えてくれた。波が届かなかった瑞巌寺は避難者の救護施設に早変わりしたそうだ。しかしどうしてそんなにここは被害が少なかったのだろう?
 旅行から帰ってから地図を睨んだ。この松島町や塩釜市を囲む松島湾はその湾口に大小の島々が存在していたことが幸いしたようだ、それらが障壁となってくれたのだと判ってきた。これに対し湾口に遮るものがない隣の石巻湾に位置する石巻市(死者・行方不明者3,708人)や東松島市(同、1,087名)では、なんともむなしい犠牲者を出してしまった。あの石巻市大川小学校の悲劇(生徒74名、教師10名死亡)も忘れることができない。
 仔細に調べたわけではないが、今回の大災害で神社・仏閣での被害が少ないような気がする。瑞巌寺さんもここまで考慮して建造されたのだろうか。きっとそうに違いない。

| Travel | 00:07 | comments(0) | trackbacks(0) | ↑PAGE TOP
大兄 ペナンに死す

JUGEMテーマ:日記・一般


 十日前ほどペナンの大兄がなくなったことを共通の友人が知らせてきた。大兄は非常にたくさんの友人に恵まれ、私もその端にぶら下がっていたものだが、実にいままで公私ともに大変お世話になった。ペナンにも二度、三度とお邪魔して彼のマンションに泊めて貰った。(このブログ、2009年4月を参照)
 映画や歌舞伎にも造詣が深く、いろいろ教えて貰うことが沢山あった。華麗な文楽の舞台も彼に導かれたものだ。大兄から頂いた本『文楽の女』(山川静夫著)にはなんと吉田蓑助の自筆署名が入っていた。残念ながら暇と金に不自由する私にはいつも就いて行くことは困難で、彼の豊富な知識の前に残念な思いもした。彼の姿は『助六』の舞台で黒簾の内から河東節を唸る蔵前の旦那衆の一人のように思えたものだ。ミュージカルの舞台も好んでよく見ており、越路吹雪とか木の実ナナと細川俊之の「ショウガール」など思い出深い舞台を語って尽きることはなかった。ブロードウェーで「コーラスライン」も見ているし、ロンドンのウェスト・エンドにも行っている。一度パリの町を案内する日本人を紹介してくれないかと言われて困ったこともあった。
 大兄の口から直に詳しく聞くことはなかったが、後半生では金銭的に大変な不幸が彼の身の上に招来して、とうとう日本を逃げ出してしまったのはバブル崩壊の直後であった。心臓や内臓の手術を行う羽目にも陥って、ペナンで本当に優雅な生活を過ごせたかどうかは疑問である。されば彼が特に好んだ『曾根崎心中』の一節を手向けよう。
  
  この世の名残、夜も名残。死に往く身をたとふればあだしが原の道の霜。
  ひと足づつに消えてゆく夢の夢こそ哀れなれ
  あれ数ふれば暁の、七つの時が六つ鳴りて、
  残るひとつが今生の、鐘の響きの聞き納め
  寂滅為楽と響くなり
| Diary | 16:46 | comments(0) | trackbacks(0) | ↑PAGE TOP